爺の細道 2回目の中山道 関東平野の市街地を歩く

 中山道関東平野部分 高崎~大宮間を歩きました。ほとんど市街地なので面白くありません。私は以下の理由で意地で歩きましたが、歩き旅のビギナーの方にはお勧めしません。興味ない方は飛ばしてください。

 引退直後の2018年の冬に日本橋を出発して中山道を歩き始めました。私の最初の旧街道歩き旅でした。ところが、1日目は何とか歩き切ったものの2日目の朝 足が腫れあがって靴が履けません。舗装道路の上を3万歩も続けて歩くと足の裏にダメージが蓄積します。何とか足を靴に押し込んで歩き始めましたが、腫れた足の裏が水ぶくれになり、それが潰れて一歩一歩が激痛という地獄のような旅になりました。中山道は高崎まではJRとほぼ平行しています。我慢できずにところどころで列車に乗ってしまいました。つまりこの日本橋~高崎間は歩き切っていないのです。

 なお、この足の水ぶくれは1週間ほどで治り、その後はできにくくなります。テニスやギターを始めると最初は指に水ぶくれができますが、やがてできなくなるのと同じです。

 そこで歩き旅にもだいぶ慣れたので、中山道日本橋~高崎間をもう一度意地で歩くことにして今度は高崎駅を出発して歩き始めました。

 ところが慣れたはずでしたが、11月に若干歩き旅(四国お遍路と高野山参拝)を行ってから12月に油断してトレーニングをさぼったことが災いして、再び足の裏に水ぶくれが発生。またまた地獄のような旅になってしまいました。

 1日目 高崎~深谷 Google Mapのルート探索では32km 徒歩7時間21分。私の歩数計では39km 46000歩 高崎駅出発 7:15 深谷駅到着 16:00 8時間45分。これがやりすぎで、20kmくらいに止めておけばよかったとその後すごく反省しました。年寄りの冷や水の典型。なお、このようにGoogle Mapの表示はやや少なめに出ます。車の旅であれば10km程度の誤差はたいしたことありませんが、歩き旅で10kmは大きな違いです。

 この区間は歴史の痕跡は多くありません。写真は高崎の次の倉賀野宿に残る宿屋の建物です。

 背景は榛名山。こう見ると景色の良いところに思われるかもしれませんが、実際は排気ガスの渦の中を前から後ろから音もなく走ってくる自転車を避けながら痛む足を引きづりながら歩いていました。

 今日のゴールの深谷駅。立派な駅舎です。渋沢栄一の出身地ですが、この駅舎とはたぶん関係ないでしょう。

 ここから列車で本庄まで戻って宿泊。

2日目 深谷鴻巣 Google Mapの表示は26.2km 6時間12分。私の歩数計は31km 37000歩 深谷駅出発 7:45 鴻巣到着 15:30 7時間45分 朝の本庄~深谷は列車移動です。

 中山道旧道です。特に変わったところはありませんが、なぜか曲がりくねっていてまっすぐなところがほとんどない。旧街道に共通する特徴です。こんなところをただ歩くだけです。 

 あまり一般的に使われていませんが走禅という言葉があります。座るのではなく走って禅をする。無念無想で走るということでしょうか。それなら歩禅と言う言葉はあってもいいと思います。ただし、車と自転車には気をつけなければいけないし、道を間違えてはいけないので頭は結構忙しくて無念無想ではありません。

 熊谷を過ぎたあたり荒川の堤防近くに権八地蔵と言う石仏が2体あります。この説話は面白くて、人を殺して関東まで逃げてきた鳥取藩の侍 平井権八が ここで商人を殺し金を取った。近くの地蔵がそれを見ていたように感じた権八が「このことは誰にも言うな」と地蔵に言ったところ地蔵が「我は言わぬが汝は言うな」と口をきいた。結局 権八は捕まり獄門にさらされたそうです。物言い地蔵と言われています。左は久下権八地蔵、右が権八地蔵です。どちらがその口をきいた地蔵かはわかりません。

 

 鴻巣の鎮守 鴻神社。3つの神社が合併してできた神社だそうで、祭神がはっきりしません。

 鴻巣から熊谷まで列車で戻って宿泊。熊谷は駅ビルとその周辺にホテルや食堂が集中しているので旅人には便利でした。

3日目 鴻巣~大宮 Google Mapの表示は20.8km  徒歩4時間49分。私の歩数計は25km 30000歩 鴻巣出発 6:15 大宮到着 11:30 5時間15分。この程度の距離は体調万全なら楽勝ですが、足が痛いので大変でした。

 この区間はほぼまっすぐで道が広くて歩道がしっかりしていて、その点では歩きやすかった。しかし、水はけのためにどうしても両端が少し上がっていて斜面を横切るように歩き続けることになります。そのわずかな傾斜が足の裏の水ぶくれにはこたえます。

 大宮の手前にあったお堂。猿田彦大神と書いてあるが像の形を見ると馬頭観音ではないかと思います。しかし、猿田彦古事記の中では国津神(日本土着の神)でありながら天津神高天原から来たアマテラスを中心とする神々。天皇の祖先神)の道案内をした謎の神であり、このような人間離れした姿として表現された可能性もあります。この旅では歴史の痕跡との出会いが非常に少なかったが、ところどころこのように興味を引く場所もありました。

 高崎~大宮間 95kmを3日かけて完歩できました。

 こんな苦しい思いをしてなぜ歩くのか、歩きながら考えていました。ヒトは嫌なことは忘れたいと思います。すると本当に忘れてしまうのだそうです。昔は良かったという人はたいていの場合嫌なことを忘れただけです。歩き旅は足、腰、肩の痛みとの闘いです。時間が経つとその痛みを忘れて良かったことだけを思い出すようになって、また旅に出たくなるのでしょう。

 帰宅して3日たち足の痛みも引いたので、もう懲りずに大宮から日本橋まで歩く予定を立てています。たぶん、ここまで足が痛いことはないでしょう。