昨日は盆の入りでした。普段は仏壇に花を供えることはしませんが、父母の命日とお盆には購入した菊と庭に咲いた花を活けることにしています。ところが我が庭にはお盆の頃に咲く花が少なく雑草まで集めなければなりません。下の写真の白いユリはタカサゴユリ。外来雑草です。種をたくさん作る植物で繁殖力旺盛だが、毎年 違うところから生えてくるところを見ると個体の寿命は長くないと思います。ピンク色はスイフヨウ。どちらも2~3日で散ってしまうので切り花には向いていません。丸い実はハナモモです。食用にはなりません。形が面白いので入れてみました。
私は生け花は好きではありません。花を見たければ咲いているところまで行くべきだと思っていて、それを口に出して言ってしまうのでだいたい引かれてしまいます。

お盆の風習、つまり先祖の霊が子孫の家にある期間帰ってくるという風習はゾロアスター教が起源だそうです。盂蘭盆(ウラボン)の語源もペルシャ語だそうです。もちろん諸説ありです。ブッダも自分が始めた宗派がこの2千年の間に他国の宗教を取り込んで変容することは予想していなかったでしょう。ブッダが本当に言ったことには神も仏も天国も地獄もでてこないらしい。彼は「苦」の原因は五蘊(人間の心の動き)にあることに気づき、苦を克服するには四諦八正道(極端を避け真っ当に生きること)が必要であると説きました。当たり前すぎて有難味の無い教えに聞こえますが、般若心教によると「無智亦無得 (むちやくむとく) 以無所得故 (いむしょとくこ)」つまり学ぶことにより理解できることではなく 修行により体得すべき真理ということになります。しかし、これでは一般庶民はついてこないので民間宗教の神々を取り込んで宗教の形を作ったのではないかと私は考えています。このことはこれからも神社仏閣を回りながら考えるつもりです。
ブッダが本当に言ったことは今の仏教とは全然違うということは多分間違いないと思います。キリストがキリスト教徒ではなかったということと似ています。キリストは自分のことをユダヤの預言者と認識していたと思います。
昨年も書きましたが終戦を戦死あるいは戦争中に難死した人々の霊が地上に帰ってくるこの時期にしたのは、神の意志か人の意図かはわかりませんが、すごいことだと思います。
そろそろ日没なので仏壇に線香を灯してお祈りします。羯諦羯諦 (ぎゃていぎゃてい) 波羅羯諦 (はらぎゃてい) 波羅僧羯諦 (はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶 (ぼじそわか) 般若心経の終わりの呪文です。言語はサンスクリット語(インドの上級語だそうです。)中国語に訳したのは玄奘三蔵です。それを日本人が読んでいる。これもすごいことだと思います。















