初夏の夕暮れはなぜ青いのだろう

 関東地方の梅雨は九州ほど激しくありません。時々晴れ間があるが、曇りばかりでうっとうしい季節です。ここ2週間ほど晴れ時々雨のような日が多い。ふと気がついたのですが、日没後に世界が青くなります。もちろん夕日は赤いので西の空は赤いのですが、世界は青い空気の中に沈みます。秋の夕暮れとは全く違います。

 

今年は開花の時期がおかしい。

 ツツジやサツキの花をよく咲かせるコツは「花ガラを切り落とすつもりで刈り込むこと」です。理由はツツジの仲間は花芽形成が早いので、この時期より遅く刈り込むと花芽を切り落とすことになってしまう。かと言って刈り込まないと樹がボウボウになります。写真は昨日(6月4日)の我が家のサツキです。我ながらうまくいったと思っております。

 ところが同じサツキが他の場所では開花時期が違う。これは先の写真と同じ品種のサツキの先の写真と同日 6月4日の状況です。こちらは1週間ぐらい早く咲いたので、もう開花時期は終了。すぐにでも刈り込まなければなりません。 

 これまではツツジは5月連休頃に咲くので連休が終わったら刈込、サツキはその1ヶ月くらい後と作業を計画していました。しかし、今年はツツジが4月中に咲いてしまい、ツツジもサツキも樹ごとに開花時期がバラバラでした。従って、刈込も樹ごとにやらねばならず作業の効率が悪い。

 以前のブログでも書きましたが、昔は春の花が咲く順番は サクラ(ソメイヨシノ)→ レンギョウやハナカイドウでした。今はレンギョウやハナカイドウの方がソメイヨシノより早く咲きます。

 温暖化はいろいろなことに影響を及ぼしていると思います。農作業のスケジュールも昔通りにやればいいと思い込んではいけないと思います。

 

大企業病について/これって逆じゃないか?

 少々株を持っているので今の季節に株主総会の案内が来ます。通常は営業報告書という会社の状況を説明する資料がついています。某S商事の資料を見たらほとんど役員の紹介だけでした。会社の業績はネットで見てくださいと書いてありました。これって逆じゃないですか?

 某S商事は財閥系でこのグループの企業には上昇志向の強い方々が多くて社内競争が激しい社風らしい。まだ若い時に出世コースと平積みコースに選別されてしまうと言う話も聞いています。その競争が会社の活力になっているのかもしれません。その勝ち組の一覧がこの株主総会資料というわけです。彼らにとっては最も重要な情報かもしれませんが、私は会社の業績を知りたいわけで、知らない人たちの顔写真と経歴を見ても仕方がないのです。

 某H製作所の主力工場の前を通ったとことがあります。正門前に広大な従業員用駐車場がありました。ところが来客用駐車場はかなり離れたところにありました。これって逆じゃないですか?

 また、このH製作所がやっているTVコマーシャルは多数の子会社の名前を羅列しています。ゴールデンタイムの全国放送なので億単位の費用をかけているはずですが、これを誰に見せたいのでしょう?ユーザーに見せるべきはあくまでも自社製品が優秀であることだと思います。会社の名前はついでに覚えてもらえばよいのです。

 某S商事も某H製作所も従業員が何万人もいる企業なので一つの社会のようなものです。そこに長くいると独自の文化ができてしまうのでしょう。その文化が世界とズレるのはまずい。最悪の場合、企業の寿命が見えるかもしれません。

藤棚の謎

 うちの藤の花がなかなか咲かない。花が咲きやすい株とそうでもない株があると近所のおばさんが言っていた。この写真は昨日(5月15日) 中央高速の原パーキングエリアで撮ったものである。ちいさなPAであるが高原の森に囲まれて気持ちの良い所である。この藤棚は良く世話されていて見事に咲いた。おそらく近隣の人達の真心がこもった花だと思う。

 下の写真は塩尻で育てている藤である。野生種なので色が薄いのは仕方がない。藤棚を作るスペースが無いので垣根に絡ませている。四株ほどあるうちの一株がようやく花をつけた。後の3株は葉が茂るばかりである。

 原PAの藤棚は剪定を丁寧にやっている。私の野生種も徒長枝を刈りこんで整枝すれば花が咲くかもしれない。もう少し頑張ってみよう。

「さくらんぼの種を発芽させる方法」の続き

 このブログのアクセス数が一日50回を越えてきました。ありがとうございます。さくらんぼの季節到来です。これは毎年のことでさくらんぼがスーパーに並ぶ季節になるとアクセスが増えるのです。まだ4月なので日本産には早すぎますが、アメリカ産のブラックチェリーが出回っています。

 下の写真はそのアメリカンブラックチェリーです。種をまいてから2年目です。

 植える場所が無くてこの樹には少しかわいそうですが仕方がない。さらにさくらんぼと言えども桜なのでこのまま大木化されると我が家がかわいそうなことになるかもしれません。

 さくらんぼを食べながらこの種をまいてみようかなと思った皆様。ご健闘を祈る。

 

サイコパスを称賛する人々がいることの不思議

 ドナルド・トランプはサイコパスです。以下の特徴から明らかです。

  • 勝ち負けに異常にこだわる。勝つためには手段を選ばない。
  • 善悪には興味がない。
  • 平気でうそをつく
  • 相手の身になって考えることをしない。

 サイコパスは病気ではないそうです。性格とか傾向の一種と考えるべきだそうです。しかし、相手の身になって考えることをせず、その場の空気を読むことをせず、物事の善悪を判断しないので、脳の一部しか使っていない。従って、疲れないので長時間働き続けることができる。

 善悪を考える必要が無く、いくらでも敵を殺すことができるのはビデオゲームの世界です。ビデオゲームで遊ぶ人々は疲れずに長時間プレイできます。サイコパスにとって現実世界はビデオゲームと変わりません。トランプが恐るべきタフさで長時間働くことができるのもこれで説明できます。

 トランプほど極端でなくてもサイコパス的な人は世の中にいます。格言に曰く「憎まれっ子世にはばかる。」相手の身になって考えないので、自分がどう思われているか気にしません。勝てばよい、金もうけできれば良いのです。困ったことにサイコパスはビジネスでは成功することがあります。なにしろタフだし手段を選ばないからです。

 しかし、政治の世界では支持票を集めないと権力は得られません。サイコパスは嫌われるので普通は票は集まらないはずです。トランプの岩盤支持層はどんな人たちなのでしょう?本当に不思議です。

  さすがにトランプの支持率は下がってきているようです。彼は勝つか負けるかにしか興味がありません。負けそうという状況には我慢できないでしょう。まさに手段を選ばなくなってきています。最悪の事態は戦争をあちこちで起こして非常事態を作り出し、非常事態を理由にして中間選挙を行わないことです。選挙をしなければ負けることはありません。この悪夢が現実にならないことを願います。

 

山野辺の道を歩く

 私の歩き旅は秋冬限定です。春は園芸が忙しく夏は暑くて歩けません。今期最後は奈良県の山野辺の道にしました。先月歩いた飛鳥は3~5世紀の石造物があったが、山野辺の道沿いにある神社などは創建された時期がわからないほど古いものがある。縄文時代から聖地とされていたらしい。

  注:皇紀2600年を信奉する方々の説によると神武天皇の在位は紀元前になる。宮内庁が皇族の陵墓及びそれらしき史跡の発掘調査を一切許可しないので実証も反証もできない。しかし、そのおかげで我々は勝手な妄想に浸ることができる。

 天理駅到着は10時50分。まずは駅前の奈良県最長と言われるアーケード街を直進。幸いシャッター街にはなっていないが、店番している人たちに高齢者が多い。

 アーケードの先に進むと両側に天理教の巨大な建築物が次々と現れる。落ち葉帰りと呼ばれる日本全国から集まる信者のための宿泊施設が多いようだ。歩いている人達も若者から中高年まで天理教のハッピを着ている人が多いので、写真を撮るのは遠慮した。

 石上(いそのかみ)神宮に到着 鶏が迎えてくれる。日本特有の品種と思われる色とりどりの鶏である。

 石上神宮は日本最古の神社と言われる。本殿は大きくない。祭壇が無く拝殿を通して森を拝む形式である。

 隣の祓戸(はらいど)神社まで行った。ここは本殿も鳥居もない。石柱門を通して森を拝む。森は立ち入り禁止である。こんな綱一本は簡単にまたげるがそんな無粋なことはしない。

 石上神宮の背後に布留山(ふるやま)があり、聖なる川 布留川はこの山をぐるりと回って背後から流れている。それをさかのぼると石上神社があり、石上神宮の元社ではないかと言われている。石上神宮から3km離れており、山野辺の道からは外れるし往復すると1時間半かかるが行かないわけにいかない。小さな祠だった。二本の沢に挟まれていて古代人がパワースポットを感じた地点かもしれないが、元社では無さそうである。

 これが石上神宮ならぬ石上神社。

 石上神社から少し坂を登ると桃尾の滝がある。万葉集にも歌われる聖地である。おそらく水行の場であろう。ここから石上神宮に引き返した。

 下流の集落の中では聖なる川 布留川も農業用水にしか見えない。しかし、この山中では聖なる川の雰囲気を残している。

 途中 ハタの滝に立ち寄った。これも万葉集に出てくる。2本の流れが合流するところが滝になっている。しかし、シュロの樹が邪魔だ。いくら史跡保護と言っても紛れ込んだ熱帯樹を取り除くことはやってもいいと思う。

 

 石上神宮の門の前にある拝殿。国宝である。布留山とは逆方向を向いていて何を拝んでいるかよくわからない。ひょっとしたら布留川を拝んでいるのかもしれない。

 山野辺の道にはこのような道標が各地点にある。よく整備されている印象である。

 

 石畳の劇坂と言われる難所。石畳がしっかり敷かれている。しかし、歩き易くはない。

 夜都岐神社。祭神はタケミカズチとフツヌシ。鹿島と香取の神様にこんなところでお会いできた。茅葺きの屋根が印象的である。維持が大変だと掃除をしていた神主さんがぼやいていた。最近は茅の入手が難しくこの茅は岩手県から持ってきたそうだ。

 大和(おおやまと)神社に向かった。鳥居を抜けると左側に猿田彦を祀る神社があった。この神も千葉県の利根川河口付近に降臨した神である。天皇の祖先神ニニギの道案内をした先導の神で未来を切り開く力があると言う。

 大和(おおやまと)神社は祭神はオオクニヌシなど国津神の神々。神社の掲示にはかってはアマテラスと並んで宮中に祭られていたが第10代崇神天皇がここに移したと書いてあった。この天皇は古代の宗教改革を行った天皇と思われる。アマテラスを宮中から三輪の狭井神社に移したのもこの天皇である。さらに次の第11代垂仁天皇の時に伊勢神宮が創建されアマテラスはそこに移されている。

 なお、神社の掲示は「皇紀2600年」の原則に沿って崇神天皇の在位は2000年前と書かれている。

 大和神社は戦艦大和の守護神であった。しかし、残念ながら守り切れなかった。慰霊碑が立っていた。

 高龗(たかおかみ)神社 ものすごく画数の多い漢字で読める人は少ないと思う。水神であり、雨を降らせる。 

 今日 一番のホットスポットがこれ。磐座(いわくら)は神が降臨する場所。雨師は雨ごいをする場所だそうである。神域の奥深くに隠されるイメージだが、これは鳥居と本殿の間、つまり参拝者が通る場所にあって丸見えである。古いものでは無さそうで祭礼・儀式に使うものだろう。まさに神社の古い形式が残っている。

 1日目の行程はここで終了。JR長柄駅まで歩いて宿泊地の奈良へ向かった。今日は3万歩も歩いてしまった。山野辺の道と言うとのどかなイメージであるが、そこそこ高低差はあるし、体力を要する。

 2日目は柳本駅下車。天気予報が午後雨だったので早朝から始動。まだ7時前である。駅前を直進すると右側に古墳が見えた。黒塚古墳である。皇族の墓ではないらしく宮内庁が横やりを入れないので発掘調査が行われ三角縁神獣鏡が多数発見されたのはここである。これで邪馬台国はどこにあったか問題で九州説と大和説の論争は大和説が圧倒的に有利になった。公園になっていて古墳にも立ち入ることができるらしいが時間が無いので通過。

 長岳寺に到着。入館は9時からで受け付けは閉まっていたが、入館料400円を置いて黙って入った。桜、ツツジ、カキツバタが植えられている。これらの花の時期はさぞ美しいだろうと想像できる。誰もおらず、鳥の声がやかましいほどである。この写真は本堂にお参りした後、振り向いて撮ったものと出口付近から撮ったもの。ここは来る価値ありとしみじみ感じた。

 伊射奈岐(いざなぎ)神社。日本列島を作った神様である。今は地域の鎮守の神様である。国道沿いにあり、国道を挟んで向かい側の古墳は崇神天皇陵。宗教改革を行いアマテラスを宮中から狭井神社に移した天皇である。実はこの時は気がつかなかった。この付近は古墳が多すぎる。

 

 箸墓古墳に向かった。この付近は纏向古墳群と言って古墳が多数ある。しかし、この箸墓はケタ外れに巨大である。孝霊天皇の皇女 倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ/こんな早口言葉みたいな名前が本当にありうるのか?)の墓と言うことになっている。孝霊天皇は第7代の天皇で、なぜか鳥取県では砂鉄の神とされている。この頃の天皇の系図は不思議な点が多数あるようだ。ほとんど神話の世界である。

 遥拝所まで行ったが、近づくと古墳が大きすぎて森にしか見えないので写真は割愛する。もちろん古墳立ち入りも発掘作業も宮内庁が厳重に禁止している。

 ここから三輪山へ向かった。神の山 三輪山は二千年も禁足地になっているので樹木が大きい。巨大な松の木も見える。日本の平野部では松林はマツノザイセンチュウによりほとんど消滅した。三輪山の松がセンチュウの猛威に耐えたのは神の力か、あるいはメクチン系線虫剤の注入による科学の力か。

 檜原神社 祭神はアマテラスである。第10代崇神天皇は宮中に祭られていたアマテラスをこの地に移した。次の第11代垂仁天皇が伊勢神宮を創建しそこに移したとされる。この檜原神社が元伊勢と呼ばれる由来である。三つ鳥居が特長。なお、この檜原神宮の経度は34度32分、伊勢神宮 内宮は34度27分 ほぼ正確に東へ移動している。

 檜原神社の三つ鳥居。厳重な結界を意味するらしい。この奥は禁足地(立ち入り禁止)である。

 ここから山の中の道を八大龍王弁財天に向かった。この道も山野辺の道である。平日と言うこともあって、歩いている人はとても少ない。

 この八大龍王弁財天については観光案内が歯切れが悪いと言うかはっきりしない。訪問者の感想に「悪い気を感じた。行かない方がいいです。」などと書いた人までいる。これは行かないわけにいかない。たどり着いたが、捨てられた自動車が放置されていたり、拝殿がプレハブだったり、どうも正式な史跡ではないようだ。訪問者はいなかった。ここでカメラが壊れた。関ケ原の西の首塚以来2回目である。気味が悪いので早々に退散した。以降の写真はスマホによるものである。

 イノシシの足跡発見。夜行性なので昼間出会う心配はない。やはり夜は来ない方がいい所だろう。

 久延彦(くえひこ)神社の展望台より眺めた大神(おおみわ)神社の大鳥居。斜め左上は畝傍山。鳥居と畝傍山は近く見えるが実際は約10km離れている。久延彦は知恵の神様でフクロウがシンボルである。

 狭井(さい)神社。祭神は大神(おおみわ)神社と同じ大物主(おおものぬし)である。大神(おおみわ)神社は大物主の和魂(にぎみたま)、この狭井神社は荒魂(あらみたま)を祀る。優しい時と怒った時と神格が変るらしい。

 大神神社の周りには摂社(祭神にゆかりのある神々を祀る)が多数ある。まず出会ったのは天皇社。祭神は宗教改革者(これは私が勝手に言っているのでご注意)第10代崇神天皇である。

 日本最古の神社 大神(おおみわ)神社に到着。ここで天気予報通り雨が降り出した。

 先月お参りした橿原神宮は国家神道の威圧感を感じたが、この大神神社はなんとなくなごやかで親しみが持てる。巫女さんたちがおしゃべりしながらおみくじを売っている。梅原猛氏はアマテラスを最高神にするために国家は日本を古来から支配していた大物主(大国主もオオナムチも名前が違うが同一神と考えた)を出雲に流して国譲りをさせ出雲大社にお隠れになったことにしようとしたと考えた。ところがその後 出雲は独自の文化圏(都市国家)であることがわかり、梅原氏は間違いを認めている。国譲りは出雲文化圏を大和王権が屈服させた物語と考えた方が考えやすい。

 いずれにせよアマテラスを中心としたい国家にとってオオモノヌシは邪魔だったはずでいろいろ意地悪をしたのではないかと妄想する。それでもこの神社が現在まで存続していることに民衆の力を感じる。

 摂社の一つ。活日(いくひ)神社。祭神は高橋活日命(読み方わかりません)酒造りの神で杜氏の祖先と言われる。酒造りは古代のバイオテクノロジーだった。コメが酒になる過程は神秘と思われただろう。

 磐座(いわくら)神社。オオモノヌシの息子 少名彦(すくなひこ)を祀る。神社は無く柵で囲ったところに神が降りる磐座がむき出しで置いてある。まさに神社の始まりの姿である。

 三輪山を囲む神域の隅に仏教寺院がある。平等寺である。創建は聖徳太子で後に空海も関与し山岳宗教修験道の道場でもあり、今は禅寺の位置づけになっている。つまり、宗派がよくわからない。

 平等寺の裏にある不動の滝。明らかに水行の場であるが、もう少し掃除した方がいいと思う。すぐ近くで水音が聞こえるが道が難しく少しさまよった。

 雨が本降りになってきた。門前の素麺屋で昼食。三輪駅に向かった。

 途中にあった神坐日向(かみいますひむかい)神社。祭神は櫛御方命(くしみかたのみこと)飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)建甕槌命(たけみかづちのみこと)。大神神社初期の神主さん達らしい。いずれもオオモノヌシの子孫ということになっている。タケミカヅチがいるが鹿島の神の同姓同名か、鹿島に行く前にここにいたということか?神話の世界である。神社の名前はものすごいが建物は新しいもので小さな祠だった。住宅地の中にひっそりたたずむ。

 三輪駅近くの素盞嗚(すさのう)神社に立ち寄った。古事記によればスサノウはオオモノヌシの父であり、アマテラスの弟ということになっている。宮中でたぶん並列に祭られていたはずのアマテラスとオオモノヌシがここでは叔母と甥になってしまっている。古事記・日本書紀による神々の体系化はとても意図的と思う。スサノウの行動は多重人格的でたぶん複数のモデルを合成している。

 それよりも驚いたのは神社の真ん中に据えられた2つの磐座(いわくら)である。神が降臨する場所をオープンにしてしまっている。

 三輪駅に着いたがJRまほろば線は1時間に2本しかない。駅前の地図を見て恵比寿神社に行ってみた。祭神は事代主(コトシロヌシ)。オオモノヌシの官房長官兼外務大臣のような神で国譲りの交渉に当たったとの伝説がある。神話にはモデルがいるはずなので、そのような人物が古代にいたのであろう。

 それよりもこの場所が日本最初の市場だったそうだ。

 奈良まで戻り、少し時間があったので興福寺宝物館で阿修羅像に、東大寺戒壇院で四天王にご挨拶した。撮影禁止なので写真は無い。いずれも日本が誇る宝物である。ところが雨にもかかわらず奈良公園で鹿と遊んでいる外人観光客は多数いるが、これら宝物を見に来る外人は全くいない。たしかにこんなに人慣れしている鹿は世界でも珍しいので鹿に興味を持つのは当然だが、大仏以外の仏像も見て欲しい。

 この日は35000歩歩いた。案外 奈良公園内の歩数が多かった。

3日目 少しだけ山野辺の道を追加した。
 早朝出発。櫟本(いちのもと)駅に6時半着。まず駅近くの楢(なら)神社。祭神は鬼子母神だそうでインドの神様が日本神社に祭られている。子供を守る神様である。

 次に和爾坐赤坂比古神社(わにいますあかさかひこ神社)にお参りした。名前がすごいので行ってみたが、村の鎮守だった。古代の氏族である和爾(わに)氏を祀っている。この神社の周りは大地になっていて氏族の名前は和爾町という地名として残っている。

 和爾坐赤坂比古神社の祭神である。天兒屋根命(あまこやねのみこと)は藤原氏の祖先神である。ワニと言えば因幡のシロウサギ伝説に出てくるウサギの皮をはいだワニを思い出す。多くの童話ではワニとはサメのことと解説している。ひょっとするとこの伝説の元はワニ一族の行いを大黒様つまりオオクニヌシ一族が批判した話ではないだろうか。そうするとウサギは何者だろう。残念ながら想像力が不足して話がまとまらない。

 最終目的地 弘仁(こうにん)寺まで雨上がりの道をとぼとぼ歩いた。ここも山野辺の道である。

 弘仁寺に向かう石段。古墳の上に立っているそうだが(寺は古墳であることを否定している)古墳らしいものは見当たらなかった。

 弘仁寺は長岳寺と同様に庭園が美しい。仏像を多数持っているようだが、朝早かったので開館していなかった。坊さんが朝のお勤めから出てきたのでご挨拶した。

 ここから櫟本(いちのもと)駅に戻り帰宅した。
 乗換駅の奈良駅も京都駅も外人が多い。みんな大きい荷物を引きずって移動するので渋滞が起こる。これで中国人客が昨年通り来日していたら大変だったろう。

 この日の歩数は15000歩。今回は1日目、2日目と3万歩を超えるハードな歩きになってしまった。しかし、桃尾の滝とか大和神社とか山野辺の道を外れたスポットに行かなければ2万歩程度に収められたと思う。もう一度来るかどうかは気分と健康次第。

 これで今期の泊りがけの歩き旅はおしまい。また、10月頃から歩き始めます。そのために7~9月の猛暑の時期の体力維持のトレーニングが必須です。