昨日の険しい山道とは違って平坦な道を歩いた。江戸時代の四国の玄関口は鳴門の撫養(ムヤ)港だった。そこから伊予まで伸びる撫養(ムヤ)街道が当時の幹線道路である。お遍路の札所1番から10番はこの撫養街道沿いにある。 夜明け前にホテルを出て徳島駅5:5…
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