自治会長になってしまった 第11回 どうやったら伝わるのだろう

 自治会が会員に情報を伝える手段は3つあります。掲示板、回覧板、全戸チラシ配布です。掲示板はほとんど見られていないでしょう。しかし、常に新しい情報に張り替えていれば自治会は頑張っているねと言うアピールにはなると思ってマメに管理しています。回覧板は全世帯に回りますが、見ないで次に回す人が多いでしょう。全戸チラシ配布が最も見てくれる可能性が高いはずですが、それでも見ない人は見ない。今期はこのチラシ配布が増えたので紙代と印刷代(公民館の転写機を使うので安価です)で予算オーバーしました。

 将来は自治会でホームページを作るとかメールマガジンSNSで情報伝達する時代が来るかもしれません。実は来ないかもしれないと思っています。現在の自治会役員会でメールやSNSが通じる人は約半分です。従って、役員への連絡は相変わらず文通です。

 一方では情報が伝わらないことにうんざりして口コミに戻った人たちもいます。映画観賞会や音楽会が私の知らないところで開かれていました。もちろん、私が全てを知る必要は無いのでやっていけないことではありません。

 その口コミも最近は伝わりにくくなっています。昔は学校のPTAとか幼稚園の通園バスが出た後の奥様方の立ち話とかが口コミ・ネットワークを作っていました。子供の数が減ってしまったので、その口コミ・ネットワークも縮小してほとんど存在しないのと同じになってしまいました。怖い話ですが、どこかで孤独な老人が危険な状態になっても誰にもわかりません。幼稚園バスが減ってデイサービスの車が走り回っていますが、これは口コミの拠点にはならないようです。(写真はインターネットから採取)デイサービスセンター寿光園-社会福祉法人寿光会|八尾市

 現役時代後期に一時 マーケティング部にいたので広告宣伝の苦労はわかっているつもりです。ほとんどの人はチラシなど見てくれません。どうやったら振り向いてもらえるか、どうやったらメッセージが伝わるのか。テレビを見てもCMを作っている人の苦労が見えてしまいます。その感覚を自治会の情報伝達にも応用したので、だいぶ変わったねと言われることもあります。見てくれる人は見てくれています。

爺の細道 2回目の中山道 関東平野の市街地を歩く

 中山道関東平野部分 高崎~大宮間を歩きました。ほとんど市街地なので面白くありません。私は以下の理由で意地で歩きましたが、歩き旅のビギナーの方にはお勧めしません。興味ない方は飛ばしてください。

 引退直後の2018年の冬に日本橋を出発して中山道を歩き始めました。私の最初の旧街道歩き旅でした。ところが、1日目は何とか歩き切ったものの2日目の朝 足が腫れあがって靴が履けません。舗装道路の上を3万歩も続けて歩くと足の裏にダメージが蓄積します。何とか足を靴に押し込んで歩き始めましたが、腫れた足の裏が水ぶくれになり、それが潰れて一歩一歩が激痛という地獄のような旅になりました。中山道は高崎まではJRとほぼ平行しています。我慢できずにところどころで列車に乗ってしまいました。つまりこの日本橋~高崎間は歩き切っていないのです。

 なお、この足の水ぶくれは1週間ほどで治り、その後はできにくくなります。テニスやギターを始めると最初は指に水ぶくれができますが、やがてできなくなるのと同じです。

 そこで歩き旅にもだいぶ慣れたので、中山道日本橋~高崎間をもう一度意地で歩くことにして今度は高崎駅を出発して歩き始めました。

 ところが慣れたはずでしたが、11月に若干歩き旅(四国お遍路と高野山参拝)を行ってから12月に油断してトレーニングをさぼったことが災いして、再び足の裏に水ぶくれが発生。またまた地獄のような旅になってしまいました。

 1日目 高崎~深谷 Google Mapのルート探索では32km 徒歩7時間21分。私の歩数計では39km 46000歩 高崎駅出発 7:15 深谷駅到着 16:00 8時間45分。これがやりすぎで、20kmくらいに止めておけばよかったとその後すごく反省しました。年寄りの冷や水の典型。なお、このようにGoogle Mapの表示はやや少なめに出ます。車の旅であれば10km程度の誤差はたいしたことありませんが、歩き旅で10kmは大きな違いです。

 この区間は歴史の痕跡は多くありません。写真は高崎の次の倉賀野宿に残る宿屋の建物です。

 背景は榛名山。こう見ると景色の良いところに思われるかもしれませんが、実際は排気ガスの渦の中を前から後ろから音もなく走ってくる自転車を避けながら痛む足を引きづりながら歩いていました。

 今日のゴールの深谷駅。立派な駅舎です。渋沢栄一の出身地ですが、この駅舎とはたぶん関係ないでしょう。

 ここから列車で本庄まで戻って宿泊。

2日目 深谷鴻巣 Google Mapの表示は26.2km 6時間12分。私の歩数計は31km 37000歩 深谷駅出発 7:45 鴻巣到着 15:30 7時間45分 朝の本庄~深谷は列車移動です。

 中山道旧道です。特に変わったところはありませんが、なぜか曲がりくねっていてまっすぐなところがほとんどない。旧街道に共通する特徴です。こんなところをただ歩くだけです。 

 あまり一般的に使われていませんが走禅という言葉があります。座るのではなく走って禅をする。無念無想で走るということでしょうか。それなら歩禅と言う言葉はあってもいいと思います。ただし、車と自転車には気をつけなければいけないし、道を間違えてはいけないので頭は結構忙しくて無念無想ではありません。

 熊谷を過ぎたあたり荒川の堤防近くに権八地蔵と言う石仏が2体あります。この説話は面白くて、人を殺して関東まで逃げてきた鳥取藩の侍 平井権八が ここで商人を殺し金を取った。近くの地蔵がそれを見ていたように感じた権八が「このことは誰にも言うな」と地蔵に言ったところ地蔵が「我は言わぬが汝は言うな」と口をきいた。結局 権八は捕まり獄門にさらされたそうです。物言い地蔵と言われています。左は久下権八地蔵、右が権八地蔵です。どちらがその口をきいた地蔵かはわかりません。

 

 鴻巣の鎮守 鴻神社。3つの神社が合併してできた神社だそうで、祭神がはっきりしません。

 鴻巣から熊谷まで列車で戻って宿泊。熊谷は駅ビルとその周辺にホテルや食堂が集中しているので旅人には便利でした。

3日目 鴻巣~大宮 Google Mapの表示は20.8km  徒歩4時間49分。私の歩数計は25km 30000歩 鴻巣出発 6:15 大宮到着 11:30 5時間15分。この程度の距離は体調万全なら楽勝ですが、足が痛いので大変でした。

 この区間はほぼまっすぐで道が広くて歩道がしっかりしていて、その点では歩きやすかった。しかし、水はけのためにどうしても両端が少し上がっていて斜面を横切るように歩き続けることになります。そのわずかな傾斜が足の裏の水ぶくれにはこたえます。

 大宮の手前にあったお堂。猿田彦大神と書いてあるが像の形を見ると馬頭観音ではないかと思います。しかし、猿田彦古事記の中では国津神(日本土着の神)でありながら天津神高天原から来たアマテラスを中心とする神々。天皇の祖先神)の道案内をした謎の神であり、このような人間離れした姿として表現された可能性もあります。この旅では歴史の痕跡との出会いが非常に少なかったが、ところどころこのように興味を引く場所もありました。

 高崎~大宮間 95kmを3日かけて完歩できました。

 こんな苦しい思いをしてなぜ歩くのか、歩きながら考えていました。ヒトは嫌なことは忘れたいと思います。すると本当に忘れてしまうのだそうです。昔は良かったという人はたいていの場合嫌なことを忘れただけです。歩き旅は足、腰、肩の痛みとの闘いです。時間が経つとその痛みを忘れて良かったことだけを思い出すようになって、また旅に出たくなるのでしょう。

 帰宅して3日たち足の痛みも引いたので、もう懲りずに大宮から日本橋まで歩く予定を立てています。たぶん、ここまで足が痛いことはないでしょう。

第51回 秋の名残と春の兆し

 正月も終わろうとしています。我家の庭にはまだ秋の名残があります。2019年に1回目の四国お遍路に出た時、四国の山野に実るサネカズラの鮮やかな赤に感動して種を採ってきました。四国の方々には珍しくない植物でしょうが、関東では見たことはありません。結実するまで3年かかりました。4年目の今期は比較的多くの実がなりました。

 ところが関東ではサネカズラの実を鳥が食べるようです。四国ではこの実を食べる鳥がいないらしく年を越してもそのまま実が残りますが、我が家では芯だけになってしまいます。この写真の実は比較的大きな実だったので熟すまで待っていたら鳥に先を越されてしまいました。1枚目の写真は地面に近いので残ったものです。

 この写真はロウバイの蕾です。これも2019年に種を蒔いて4年目にやっと開花しそうです。モモクリ3年。樹木は時間がかかります。

 最後は水仙です。温暖化のせいかだんだん開花が早くなるような気がします。もはや冬の花です。これは早咲きの品種です。ラッパ水仙などは2月下旬~3月に開花します。

 寒波・大雪で始まった今年の冬ですが、長期予報通りスーパーエルニーニョによる暖冬になるのでしょうか。大地震能登に雪がほとんど無いので暖冬の気配があるような気がします。

我家の謎のならわし/雑煮に餅ではなくヤツガシラを入れる

 我家では元旦の朝の雑煮に餅を入れずヤツガシラを入れます。その理由は伝承されていません。これまで私は同じような風習を持つ人に一度も出会ったことがありません。

  年末の私の仕事はヤツガシラの買い出しです。割らずに一人で一個食べるので小さめのイモを選ばなければなりません。そして大みそかの午後にヤツガシラの泥を落とし皮をむきます。出来るだけ割らないようにします。だいぶ小さくなります。

 我家の先祖は鹿児島から出てきています。鹿児島へ旅行した時に県立博物館の学芸員に質問しましたが、鹿児島では聞いたことがないと言われました。民俗学では「餅無し正月」と言って何らかの理由で餅が禁忌とされた集落や家族が各地に散在することが知られています。我家の場合は餅が禁忌ではありません。元日の朝は餅ではなくヤツガシラを食べるだけで餅を食べてはいけないとは言われていません。料理法は伝承されておらず代々の奥方が工夫して来たようです。写真は我家のヤツガシラ雑煮です。みそ仕立てで香りづけにミツバを入れています。

 この風習の由来について私が考えた仮説は4つ。

① ご先祖がとても貧乏で餅が食べられなかった。

② ご先祖がタロイモを主食とする南方からの渡来人だった。

③ ご先祖が縄文時代の風習を守ってきた。

④ ご先祖がイモが好きだった。

 無形文化財のようなものなのでできるだけ子孫に伝えて行こうと思っています。どなたか元旦の雑煮に餅ではなくヤツガシラを入れている方がおられましたらコメントください。

  この写真は本日(1月1日)の初日の出です。大勢の人が早起きしています。本年も良い年でありますように。

 

 

番外:驚愕! ローリングストーンズは80歳過ぎても全く懲りていなかった。

 ローリングストーンズの新CD「Hackney Diamonds」(古ぼけたダイヤという意味らしい)を聞いて驚いた。ドラムのチャーリーが亡くなり、3人になったストーンズのポスターを見て、多少センチメンタルな音楽になるのではないかと予想(期待)していたが、全く裏切られた。彼らは全く懲りていなかった。むしろ前回のCD「Bigger Bang」よりひどくなっていた。より小細工が無くなり、ドラムをたたき、ギターをかき鳴らし、ブルースにこだわり、このストレートさは感動的だった。80歳のミックが昔と同じように歌えることは驚異である。最後にミックとキースの2人だけでブルースをやっているところがちょっとだけセンチメンタルになるかもしれない。

 ローリングストーンズの音楽はmusicと言うよりもperformanceという表現がピッタリすると思う。一期一会の2度と帰らない時間の中で彼らは音を出している。だから彼らは続けられるのだと思う。

 一方 81歳のポールマッカートニーが古い音源を探し出してAI加工して世に出した「Now and then」は、お涙頂戴の極致であり、私も見事に引っかかって不覚にもウルウルしてしまった。You TubeでMVを見られることをお勧めする。まだ生存しているポールとリンゴが老人になっているまわりを今は亡きジョンとジョージが若い姿でふざけまわる。これまで何とかやってこれたのは、みんな君のおかげ。時々(now and then) 君がなつかしい、という歌詞がジワッと来る。デビュー当時のビートルズが演奏後に最敬礼するところで終わる。これが泣かせどころである。

 ミックもポールも素晴らしい年の取り方をしている。ただし、何億も稼いでいる彼らと自分を比べるのは無理なのであるが。

(写真はポールマッカートニーとローリングストーンズ)


 

自治会長になってしまった 第10回 同好会グループはなぜ続かないのか

  自治会の役員と班長は輪番制で回ってくるので逃げるわけにいかず、従って存続します。しかし、歌の会やら踊りの会やらお花の会やら囲碁将棋の会はなぜか次の世代が参加せず構成員が高齢化すると消えていきます。

 現在は井戸端会議の機会がほとんど無くて「隣は何をする人ぞ」状態です。これでは老人の孤独死が起こりかねないと民生委員さんは心配しています。いろいろな同好会が地域内にあれば、少なくとも顔見知りになってくれると思うのですが、なかなか同好会は継続して育ってくれません。

 高齢の方々は若手が入ってくれないと嘆きます。しかし、自分たちが入会のハードルを上げてしまっているケースが多いと思います。あまり仲が良すぎるグループには入りづらいものですし、要求されるレベルや真面目さが高いとこれまた入りづらい。第2グループができると競争になったりして空気が悪くなりそう。一度消えたら冷却期間を置いてまた次のグループができるという風にするしかなさそうです。森の植物相の遷移を連想しました。

 

 余談ですが、下の写真は「高齢女性向けの生け花教室」と「高齢者が集まる囲碁将棋の会」をBing AIに描かせたものです。現実のものではありません。すごく変です。このAIはアメリカ製なので生け花も囲碁も知らないらしい。

高齢女性向けの生け花教室の絵 A group of elderly people playing Go and Shogi

 

第50回 晩秋の塩尻にて

  久しぶりに園芸関係です。今年最後の塩尻行でした。作業は梅など樹木へのマシン油乳剤の休眠期散布。アブラムシなどの昆虫の卵を除去するためです。それに雑草地へのラウンドアップ散布。これで春の除草作業がほとんど不要になります。現役時代の最後の頃 やったこともないのに偉そうに技術指導していたことを引退してから実行しています。本当はマシン油乳剤処理には1~2か月早すぎるし、ラウンドアップ処理には2週間ほど遅すぎます。しかし、遠距離なので仕方ありません。

 ナツメの実が鈴なりでした。昔は子供のおやつになったそうですが、水気の抜けたボケたリンゴのような味で今の子供たちは歓迎しないでしょう。鳥が食べた形跡もあまりありません。

 メタセコイヤがきれいに紅葉していました。北の丸公園で拾った種から育てました。

 ウバユリがぎっしりと種をつけていました。この栽培は難しそうなので自然に任せることにして放置です。

 マユミです。実の形が面白いので旅先で採ってきた種を育ててやっと実をつけました。

 ムラサキシキブです。平野部では鳥がさかんに食べますが、この高原ではそれほど食べられないようです。

 コブシの実です。近所の街路樹から種を採って育てたものです。今年初めて実をつけました。おそらく日本古来の品種ではなくて海外から来た園芸種です。はてなブログで拝見しているhuukyou先輩が不気味な形をしていると指摘されているように変な実です。

 ウメモドキ。宝石のような赤い実をつけます。それほど大きくならないので庭木にもできます。この小さな実の中の小さな種からよくぞ育ったものだと感心しています。

 翌日は雨でほとんど作業できず、温泉を使った公衆浴場で時間をつぶしました。帰り道の談合坂サービスエリアで撮った写真です。谷間に雲海が出来ていました。

 今年の作業はこれで終了。来春は4月下旬に来る予定です。