爺の細道 お四国病について 前編

 お四国病

 お遍路を歩くことを地元の人は「お四国をする」と言います。「お四国病」はお遍路がやめられなくなる病気のことで、これにかかると体が動かなくなるまで歩き続けることになります。このことはお遍路は5回目という老人から聞きました。

なんでもない道をリュックを背負って歩いていても奇異の目で見られない。

 なんでもない道が存在すること自体が貴重だと思うのです。

 

  お遍路の誰もが持てる不幸せ 

 徳島の18番札所 恩山寺に向かうバスの中で老婦人に話しかけられました。

「どこから来たん」

(東京の方からです)

「何しに来たん」

(お遍路のまねごとやってます)

「誰か死んだん」

(! ! !・・・・) お遍路とは誰か死んだときに始めるものだと知りました。

 徳島の12番札所 焼山寺から降りてバス停でバスを待っている間、50代の中年男と会話しました。その人は大阪の人で全歩き遍路を目指していてバスで一度帰り、後日またバスでこのバス停に来て歩くというようなことを繰り返しているそうです。最初は奥様と1番札所から歩き始めましたが、奥様が亡くなり、今は一人で歩いているとのこと。

 歩いている遍路はだいたい一人です。

過去の人との出会い

衛門三郎 伝説の最初のお遍路です。旅を続ける空海を追ってハ十八カ所を回ること 20回。21回目の途中 焼山寺山麓で力尽きます。その臨終の枕元に空海が立ち三郎が生まれ変わることを告げます。左の写真は衛門三郎の邸宅跡とされる愛媛の番外霊場文殊院にある衛門三郎旅立ちの像。強欲で乱暴者だった庄屋の面影を残しています。右は衛門三郎臨終の地 番外霊場杉杖庵。徳島の12番札所 焼山寺の麓にあります。

 

左は衛門三郎が生まれ変わった時に握っていたとされる石。愛媛の51番札所石手寺の寺宝として展示されています。右は 正岡子規の俳句 「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」。浄瑠璃寺は愛媛の46番札所です。

 

長曾我部元親と盛親 元親は讃岐の一部を除いて四国をほぼ制圧した戦国大名です。しかし、軍事力、経済力で本州の信長や秀吉には対抗できないと認識して生き残りのために同盟を結ぼうと必死で交渉します。ところが、打つ手打つ手が全て裏目に出て滅亡してしまいます。現状認識は正しかったと思いますが、運が無かったとしか言いようがありません。左の写真は長曾我部元親を祭る秦神社。高知の33番札所雪蹊寺の隣にあります。秦は長曾我部の旧姓だそうで、彼らは渡来人の一族でした。秦の始皇帝の血を引くと言っていたそうです。右は長曾我部軍が伊予に攻め込んだ時に通った歯長峠。愛媛県の42番札所仏木寺から43番札所明石寺へ向かう道です。

  

崇徳上皇 日本三大怨霊の一人です。あとの二人は菅原道真平将門。3人とも神様になっていて、それぞれ天神様、神田明神そして崇徳上皇金比羅宮の奥の院です。左は  79番札所天皇寺崇徳上皇の怨霊を鎮めることを目的に建てられた寺だそうです。隣に同じ目的の神社白峯宮があります。右は81番札所白峯寺にある崇徳上皇の墓。なお四国ではなぜか上皇ではなく崇徳天皇と呼ばれています。         

 

 種田山頭火 左は愛媛道後温泉の近くにある彼が晩年を過ごした一草庵。「おちついて死ねそうな草萌える」。右はそこに貼ってあった色紙。遍路道沿いにあった思いがけない出会いです。

 

(つづく) 次回は絶景ポイントと古代の巨石信仰の痕跡について