3回目のお遍路と言ってもこれまで行けなかったところともう一度行ってみたいところだけ3泊4日の小旅行である。
1日目 高知市内に前泊し、6時42分の始発バスで宮前スカイラインバス停へほぼ1時間。1230円。四国の交通機関はJRも私鉄もバスも交通系電子カードが使えない(例外は琴平電鉄)ので常に小銭が必要。宇佐大橋を渡る。この橋ができる前は渡し舟があった。青龍寺に向かう道は海岸沿いと山越えがある。今回は山越えの旧遍路道を選択した。写真の橋の背後にある山を越えることになる。
立札がちゃんとあるのでここを登る。
通常 遍路道は近隣の方々が整備していて、ゴミなど落ちていないところが多いが、この道は残念ながらゴミだらけ。通る人が少ないらしく落葉と枯れ枝を踏み倒木を避けながら登って行く。途中で多数の蜂の羽音が聞こえた。低い音なので大型の蜂らしい。虫の姿も巣も見えないが、スズメバチを驚かせると殺されかねない。急がず止まらずそのまま進んだ。この道は危険と判断。帰り道は海岸沿いに決めた。
四国の山野には普通に生息する青いミミズに遭遇。地元ではカンタローミミズと呼ばれている。学名はシーボルトミミズ。このミミズは小さい方で大きなものは30cm近くになる日本最大のミミズ。雨が少なく乾燥しているのでミミズも苦しそう。
峠から少し下がったところで視界が開けた。桂浜方面を望む。中央の橋は仁淀川河口にかかる仁淀川大橋。
青龍寺に到着。この石段はかって元横綱の朝青龍がトレーニングに使ったとの逸話あり。
青龍寺本堂、その向こうが大師堂。下に観光バスが止まっていたので、その団体と思われるお遍路の一団がいた。彼らのお祈りが終わるまで待って、参拝して最近になってやっと暗記できた般若心経を唱えた。
本堂の近くに白山神社があった。白山とは加賀の白山ではなくて朝鮮半島北部にある聖なる山 白頭山だそうだ。ということは白山神社は朝鮮からの渡来人がいた可能性を示していると思う。
遣唐使で唐に渡った空海が真言密教を学んだのは中国にある青龍寺で、恵果は空海に真言密教の奥義を伝えた人物。これは恵果を祭った恵果堂。空海は中国の青龍寺から仏具の独鈷を投げたところ日本まで届いた。その場所に寺を作り青龍寺の名前を付けたとの伝説が伝わっている。お遍路の団体の先達(ガイド役をこう呼ぶ)が恵果は中国の人なので中国式の参拝をすることと指示していた。参拝の作法は見なかった。
その独鈷が届いた場所に奥の院があるというので行ってみた。これが今回の旅の目的の一つ。奥の院に向かう道は歩く人が少ないせいか荒れていて倒木を何本か越えて行かねばならない。石仏に見守られながら登って行く。
奥の院の入り口。厳重な結界が張られている。
奥の院に着いた。靴を脱いで入るようにと注意書きがあった。私のような不信心物は遠慮して鳥居の外から参拝し般若心経を唱えた。
奥の院の掃除をしていた老人が声をかけてきた。極端にしわがれ声の上 方言が強くて何を言っているのかわからない。「弘法大師が中国から投げた独鈷が届いたのはここではなくて道の途中にあった松の木で、今は枯れて根元だけ残っている。」「落葉の下のミミズを食べに猪が来る」「小さな石仏があったが盗まれた。不動明王を..........(聞き取れない)......後悔するだろう。」「スズメバチがたくさんいる。できれば海岸沿いを通られればよい。」ほとんど聞き取れなかったはずなのに、後でこんなことを言われたことを思い出した。この老人は人間だったのだろうか。
石仏を盗むとは情けない奴がいるものだ。この奥の院はかっては森の中しずかなパワースポットだったのであろう。実は近くにスカイライン道路ができリゾートホテルもあって、その駐車場からここまで200mほどしかない。出来心で小さな石仏を担いで行くくらいはできる。遍路道の石仏は良く保存されていることが多いが、このような残念なことも起こる。
帰りはそのスカイラインを降りて行った。粋がって飛ばしてくる車やバイクが危険。道端に咲いていた野生の萩。マルバハギだと思う。
宮前スカイライン入口バス停に着いたのは11:00頃、次のバスは13:02まで無い。バス停近くの海賊料理 新漁丸にて「かつおたたき定食デラックス」を頂く。1800円。全く臭みが無い。おいしい。昼間は酒は飲まないことにしている。これが残念。
なお、この新漁丸は昔 ジョン万次郎を乗せた船の船主の子孫であることを自慢にしている。
まだ時間が余ったので漁港で小魚やヤドカリを見ていた。岸壁にはムラサキイガイではなくてカキがびっしりついていた。イソギンチャクもいた。豊かな海である。
バスで高知駅まで戻りJRで徳島まで移動した。今日はバスと列車に合計6時間も乗っていたことになる。今日の歩数は28000歩だった。