爺の細道 古市・羽曳野古墳群を散策する

 歩き旅シーズンなので立て続けに旅に出ています。古市駅を出発して白鳥陵→墓山古墳→誉田(こんだと読む)八幡宮応神天皇陵→仲津山古墳→允恭天皇陵→土師ノ里(はじのさと)駅と歩き、ここから列車で三国ヶ丘まで移動して仁徳天皇陵へ行きました。

 実は古市古墳群についてかねてから疑問に思っていたことがありました。前方後円墳の向きがバラバラであることです。古代人は方角を重要視していたはずで、この古墳の向きには何かしら法則が隠れているのではないかと半ば期待していました。以前 国立歴史民族博物館の学芸員に質問したところ、古墳は元の地形を活かして作られていて、その向きには人為的な法則性は無いとの答え。ちょっとがっかり。しかし、現地を見てこの学芸員の回答を理解しました。なにしろ大きすぎるのです。作るのに精一杯で、その向きを工夫する余裕はなかったであろうと考えられました。

 古市駅から白鳥陵はすぐです。古事記で最も印象的な人物はおそらくヤマトタケルでしょう。亡くなる時の「大和は国のまほろば」の歌は印象的ですし、そのヤマトタケルの墓から白鳥が飛び立ち、この白鳥陵の場所に舞い降りた後、天に向かって飛んでいく最後はなかなかのドラマです。しかし、その戦い方は、九州のクマソタケルを討ち取る時に女に化けて近づいて後ろから刺し殺すなど、あまり美しくありません。当時の日本人の価値観を反映しているとの説があります。下の写真は住宅地から見える白鳥陵です。白鳥陵は古墳群の中では中型の古墳です。それでもこれだけ大きい。特に高さは想像以上でした。

 墓山古墳は羽曳野市役所のすぐ裏にあります。まわりに培塚(おそらく家来の墓)がいくつかあります。これらは方墳でした。他の巨大古墳のまわりにも培塚があり、方墳だったり円墳だったりします。

 応神天皇陵の遥拝所の位置にある誉田(こんだ)八幡宮です。地味ですが細かい彫刻がある立派な建物です。八幡宮の祭神は応神天皇なので、その天皇の墓のところにあるこの八幡宮が八幡様の総本山でもおかしくないと思うのですが、八幡様の総本山は大分の宇佐神宮だそうです。武神とされていますが具体的に目立った戦績は知られていません。謎の天皇と言っていいでしょう。

 誉田八幡宮から応神天皇陵へ石の橋がかかっています。もちろん一般人は通行禁止です。神官たちはこの橋を渡って天皇陵へ参拝しています。

 応神天皇陵のそばにあった培塚(家来の墓)。住宅地の中にこんな小さな古墳がたくさんあります。左奥に見える森は応神天皇陵です。

 左は仲津山古墳。応神天皇のお妃 仲津姫のお墓です。右は弁恭天皇陵。応神天皇の2代あとの天皇です。この2つの古墳は同じくらいの大きさです。つまり仲津姫は天皇並みの大きさの墓に眠っていることになります。

 

 土師ノ里(はじのさと)駅から古墳が2つ見えます。遠くの大きな古墳は仲津山古墳。手前の小さな円墳はその培塚です。まさに古墳群でした。

 土師ノ里駅から列車で三国ヶ丘駅まで移動し仁徳天皇陵を目指しました。日本最大、世界最大と言われるだけあって桁外れの大きさです。

 ここでボランティア・ガイドの老人と雑談しました。冒頭にお話しした古墳の向きのことですが、海に近い大型古墳は海岸線と並行に向いているそうです。渡来人に日本の国力を見せつけるためです。しかし、小さな古墳の向きはバラバラだそうです。

 ほぼ半日の散策で、歩数は約18000歩でした。