諏訪の御柱(おんばしら)

 諏訪の御柱(おんばしら)は7年に1回行われる諏訪大社御柱祭で有名です。しかし、御柱を立てている神社は諏訪大社だけでなく諏訪地方には多数あります。この神社は岡谷駅近くの十五社です。ちゃんと四隅に柱が立っています。

 神社だけでなく小さな祠にも柱が立っています。

 諏訪大社の祭神はタケミナカタです。古事記日本書紀にはタケミナカタは当初 出雲のオオクニヌシのところにいたが、大和から要求された「国譲り」に反抗して、大和から派遣された鹿島の武神タケミカズチと相撲で勝負したが腕を折られて敗れ、諏訪まで逃げたと大変不名誉な書かれ方をしています。このような神話にはモデルとなった史実があったのではないかと思います。おそらく古代に諏訪と大和の戦いがあり、諏訪が敗れたのでしょう。

 なお、古事記日本書紀は当時の権力者藤原氏の脚色があり、言わば彼らのプロパガンダだと考えた方が分かりやすいと思っています。藤原氏の始祖 中臣鎌足の出生地は鹿島神宮のすぐそばにあり、その場所は鎌足神社になっています。藤原氏は奈良に春日大社を造り祭神として鹿島からタケミカズチを呼びました。自分の出身地の神を連れてきてしまったわけです。タケミカズチは鹿に乗って奈良まで来たと伝えられています。奈良公園の鹿が神獣とされる理由です。この絵は鹿島立御影図です。

 春日大社藤原氏氏神です。つまり、タケミカズチがタケミナカタを倒した話は藤原氏が自分の氏神を思い切りヨイショしたということです。

 諏訪大社下社 秋宮のすぐ近くに青塚古墳と呼ばれる前方後円墳があります。前方後円墳大和王権の象徴です。諏訪一族が信仰する神域に大和の象徴を置くことは諏訪一族の心にくさびを打ち込む効果があったと思います。この古墳は大和から派遣された代官の墓だそうです。宮内庁の管轄では無いので発掘調査されていますし、誰でも立ち入ることができます。

 諏訪大社は上社前宮、上社本宮、下社春宮、下社秋宮の四つありますが、かっては全く別々の神社でした。諏訪大社として統合されたのは明治になってからだそうです。その中で上社 前宮は最も古いと言われています。この神社の裏山は禁足地(立入禁止)とされていて、諏訪の神タケミナカタはここに葬られているとの伝説があります。

 古代の諏訪には小さな国があり、独自の文化があったのだと思います。そのほとんどは忘れ去られましたが、その文化の痕跡は大小の御柱としてこの地域に残っています。

 古代の記録は神話の中にしか残っていません。神話とわずかに残る史跡・痕跡をつなげて想像を広げるのも旅の楽しみです。