第10回 次に来る自然

  田舎の道を歩いていると空家・廃屋・閉店した商店が目立つようになりました。今のところ人口の減少よりも都市部への人口流出や経済の中心が旧道から国道バイパス沿いに移っていることの影響が大きいようですが、いずれ本質的に人口は減少する予想になっています。耕作放棄された田畑も無視できません。新しいデータが見つからないのですが、おおざっぱに言うと耕作可能な面積が500万haのところ50万ha、つまり10%は放棄されているのではないかと思います。

 それでは放棄された農地、あるいはこれから出てくるであろう放棄された住宅地はこれからどうなっていくでしょうか。自然に戻って行くのでしょうか。その自然はどのような自然になるのでしょうか。

 これらの写真はハクビシンです。空き家に住み着き繁殖しています。江戸時代から日本にいたようですが、市街地でも見かけるようになったのは最近のことです。雑食性で生ごみをあさったり果物を食害する迷惑な害獣でもあります。

f:id:tanemaki_garden:20210402144717j:plain f:id:tanemaki_garden:20210402144757j:plain      下の写真は夜の公園に流星群を見に行ったところ駆け寄ってきたハクビシンの子供で、驚いたことに足にじゃれついてきました。上の写真とは別の個体です。誰かが餌付けしたのでしょう。よっぽど連れて帰ろうかと思いましたが、野生動物は子供の頃はかわいくても大人になると狂暴になって手に負えなくなるのが通常なので放置しました。

f:id:tanemaki_garden:20210402144946j:plain

 この猫は我家の軒下で生まれそのまま居ついた半野良の雌です。不妊手術してあります。性欲は無くなっても食欲と狩猟本能は旺盛で、ネズミも捕りますが今回はヒヨドリを捕獲して自慢げに帰ってきたところです。この後 羽毛を残して骨ごと食べてしまいました。なお、この猫は他の猫とは派手に大声をあげて縄張り争いをやりますが、ハクビシンが来ると静かに逃げます。

f:id:tanemaki_garden:20210402145912j:plain

 ところで鳥の世界も様子が変わっているような気がします。昔はどこにでもスズメがいました。最近は市街地では見かけなくなりました。スズメよりもヒヨドリキジバトなどが多くなったような気がします。メジロホオジロなども現れますし、ウグイスの声が学校の裏でも聞こえます。道路を歩くセキレイもよく見かけます。車が来ると逃げてまた道路に戻ってきます。多様な鳥が来てくれるのはうれしいのですが、わずかに残っていた森林が伐採されて仕方なく市街地にやってきたとすると悲しい。生ごみをあさるカラスや街頭に集団で集まって騒音と糞をまき散らすムクドリが市街地に増えていることは話題になります。なお、ツバメが人家に巣を作るのはカラスから雛を守るためだそうです。カラスの勢力拡大が鳥の世界の変化の要因である可能性はあると思います。

 f:id:tanemaki_garden:20210402150446j:plain

 ニホンカモシカです。冬の間は山中の低いところにいて、夏になると高いところに移動するようです。この写真は12月中旬に長野県塩尻市みどり湖付近で撮影しました。全然逃げる様子がなく、私がリュックからカメラを取り出して構えるまで待っていてくれました。背景の土手は長野自動車道です。車の騒音が聞こえてくる場所です。特別天然記念物とされていますが、結構 たくましく生きていくのではないかと思いました。人間社会とうまく距離感を保てる器用な動物とトキやコウノトリのようになぜかうまくいかない不器用な生物で運命が分かれるようです。

f:id:tanemaki_garden:20210407143112j:plain

 草刈りをしていたらアオダイショウが現れました。この土地のヌシです。悠々と草むらに消えて行きました。最近は本当に少なくなりました。特に天敵はいないし、餌になるネズミはいるし、市街地で生きていても不思議はないのですが、おそらくこの体形では交通事故に合うことが多いのでしょう。自動車が少なくなれば、ヘビも次に来る自然の一員になると思います。

 江戸時代後期には日本の山々はほとんど禿げ山だったと聞きました。人々が木を燃料に使ってしまい、植林をしなかったからです。もっと昔では人口が少なかったでしょうから山々は森林に覆われていたはずです。里山が日本の原風景であるように言われていますが、里山が広がったのは植林が始まってからでしょうから、それほど昔のことではなかったのではないでしょうか。日本のように人口密度が高い国では手つかずの自然などほとんど無くて、自然だと思われているところでも人の手が入るので時代とともに変わっているのだと思います。人間が放棄した土地にはなんらかの自然が戻ります。しかし、それは以前と同じではないはずです。 

 今はほとんど読まれていないと思いますが、高橋和己という小説家がいました。自分たちは自然に郷愁を覚えるが、これからの人たちは都会に郷愁を感じるようになるだろうと言っています。つまり「夕焼け小焼けの赤とんぼ」など見たことが無い人は赤とんぼを懐かしく思うはずがないということです。これからはネットの世界が心象風景のベースになる人々が出てくるのでしょう。あと20年くらいたつと団塊の世代の方々が卒業されて人口は目に見えて減少するはずです。人間のいなくなった場所に自然が戻ってくるでしょう。人々は何を見て懐かしさを感じるのでしょうか。