第52回 塩尻にて サクラにウグイス

 塩尻の山中、海抜900mくらいのところに約200坪の土地があります。市街化調整区域で、この規制は当分解消されないとのことで、鳥や蝶が来る場所を目指して草木を植え始めてもう35年くらいになります。冬は寒すぎて作業できないので春になるのを待っていました。桜が満開でした。

 ウグイスがうるさいくらいに鳴いていました。この鳥は木々の高いところに留まるので、声はよく聞くものの姿を見ることは滅多にありません。奇跡的に写真が撮れました。

 写真を撮ろうとして近づくと逃げますが、やがてまた戻ってきます。あのホーホケキョは縄張り宣言らしい。遠くからも別のホーホケキョが聞こえます。花に来る蜂などの昆虫ねらっているらしい。手前の枝がジャマですが、確かに蜂らしきものをくわえています。

 まぐれ当たりをねらってシャッターを切りまくりました。とても地味な鳥です。

 

 ウグイスは我家の近くでも鳴いています。しかし、写真どころか姿を見るのは、多分生まれて初めてです。幸運でした。

 なお、ウグイスがとまっているのは桜ではなくプルーンです。このブログの元々のテーマである「種から育てる」を実行したもので、今では脚立などでは届かない大木になりました。実も生りますが届かないので収穫できません。しかし、この土地を「蝶や鳥が来る場所にすること」には役立ってくれています。

 他にも種から育てた桜の仲間が満開でした。これはヤマザクラ吉野桜の仲間だと思います。

 これは大島桜の種から育てたもの。しかし、葉に大島桜特有の桜餅の香りがありません。種から育てたので交配により香りの遺伝子が抜け落ちたか不活化したようです。ヤマザクラとは開花時期が微妙に違います。

 これは「おかめ桜」の種から育てたもの。関東平野では早咲きの品種ですが、寒冷地ではヤマザクラと開花時期が同じになってしまいます。花の形はおかめ桜をしっかり遺伝しています。なお、この場所ではソメイヨシノヤマザクラも開花時期がほぼ同じになります。北国では春が一気に来ます。

 これはハナモモです。中山道木曽路を歩いていた時、ハナモモの並木があったのでその根元から拾ってきた種が発芽したものです。平野部ではハナモモは桜より早く咲きますが、ここではほぼ同時になります。

 これもハナモモです。近所の公園から拾ってきたもの。苗木を抜いてくるのは犯罪ですが、落ちている種を拾ってくるのは許されると思っています。ただし、国立公園や自然保護区では種を拾うのもNGです。

 これは桜の仲間ではなくコブシです。近所の公園から種を拾ってきたもので、2年ほど前から花が咲き始めました。

 ヤマブキです。この土地に合っているようで藪のようになってしまいました。これは種ではなく株分けで植えたものです。蜂が好んで集まってきます。蜜源植物としては一重咲きが良いようです。と言うよりも八重咲きの花は花粉も蜜も作らない場合が多いので蝶や蜂の役には立ちません。

 樹木に肥料をやるために溝を掘り、ついでに我が家で増えすぎた水仙の球根を植えたところ2年目でようやく落ち着いてきました。黄色のラッパ水仙と白は口紅水仙です。口紅水仙は長い間に先祖返りしたらしく、口紅の赤が無くなってしまいました。これらは遅咲きの品種です。平野部で正月過ぎに咲く早咲きの品種はこの場所では寒すぎて無理のようです。

 この水仙は私が庭づくりを始める前からここにあったものです。おそらく最初は球根1個だったものが、大きな株になったのと思われます。これでは窮屈なので花が終わったら掘り上げて株分けするつもりです。夏を過ぎると地上部が完全に消えてどこにあったかわからなくなります。

 しかし、このブログの表題になっている「さくらんぼ」は何回か試みていますが、全て枯れました。発芽はさせることができますが、地植えして2年くらいでなぜか枯れます。おととし発芽させたブラックチェリーも40~50cmになるまで鉢植えで育ててここに植えましたが、冬越し出来ませんでした。もともと地下部が弱くて生き延びるには接ぎ木が必要ではないかと推定しています。ご覧のように桜もハナモモもコブシも、さらにヒメリンゴホウノキユリノキトチノキ、バラなども種から育ててまだ生きているのにサクランボがうまく行きません。

 

爺の細道 下野薬師寺跡に行ってみた

 西暦740~750年 聖武天皇は奈良に東大寺を建立し全国に国分寺国分尼寺を置き、仏教による国内統治を目指した。当然 お坊さんを至急養成しなければならず唐から高僧鑑真を呼び戒壇(お坊さん免許交付センター)を全国に3か所置いた。それが東大寺戒壇院(奈良市)、筑紫観世音寺(福岡県太宰府)そして下野薬師寺(栃木県下野市)である。これを聞いた時、東の辺境(栃木県の人 気を悪くしたらごめんなさい。あくまでも1300年も前の話です。)にいきなりこんな施設ができるのが不思議だったので行ってみた。

 JR宇都宮線自治医大駅に8:40分着。下車する人は数人しかいない。医大の学生はここに住んでいるのか、朝早い授業が無いのか。街も住宅地も明らかに最近できたばかり。歩いている人は少ない。薬師寺跡には徒歩30分くらいで到着。

 まずは歴史館に行ってみた。入場無料。もちろん客は誰もいない。私が入ったのでビデオのスイッチを入れてくれた。薬師寺が出来たのは7世紀末。つまり、戒壇がおかれる50年以上前になる。関係者に天智天皇の名前があった。当時は庶民はまだ竪穴式住居に住んでおり、そんなところに寺院が建ったら、それは目立ったと思われる。やがて天台宗など平安仏教が独自に戒壇を作ったので存在意義が無くなり、国家の庇護も失い荒廃したそうである。

 薬師寺跡には寺院を囲っていた回廊の一部が復元されていて、戒壇があったと思われる場所に六角堂が作られていた。

 六角堂の中にちらっと見えるのは鑑真の像、背後に大きな木彫りの釈迦像がある。ガラス戸がはまっているので像の写真はうまく撮れなかった。

  元の薬師寺は焼失し、その後再建され室町幕府により安国寺と改名されたが、これも焼失。今も薬師寺があるが、真言宗智山派なので飛鳥時代薬師寺とは別物である。

 和尚さんが通りかかったので立ち話してみた。1300年前にここに寺院が建てられた理由について話を聞いたところ、このあたりは北関東を支配していた豪族の本拠であり、渡来人もたくさんいた。それなりに文化の高い地域だったはずである とのこと。北関東には小型の円墳がたくさんあり、独自の文化があった可能性はあると思う。また、大和王権としては東北を意識した軍事拠点を作る意図もあったかもしれない。(時代は変わるが成田山新勝寺平将門の乱の反省に基づき関東の軍事・情報収集拠点として作られている。)

 五重の塔の跡。回廊に囲まれた寺院の外側にあり、最初の五重の塔が焼失した後に再建された塔である。それももはや存在しない。背後の建物は今の薬師寺である。

 薬師寺跡に隣接して八幡神社があった。寺と神社がペアになっているところは全国に多数ある。

 八幡神社の入り口にある雷電神社雷電と言っても江戸時代の伝説の相撲力士とは無関係で、カミナリの神様である。北関東は全国的に見ても雷の多い地域である。たぶん、古代からある民間信仰と思われる。ここがパワースポットの源で薬師寺八幡神社を呼び寄せたのではないかと妄想した。

 近くに元興寺という真言宗の寺があり、その境内に道鏡の墓があった。道鏡大和朝廷にて法王にまで登り詰めたが、失脚し下野薬師寺に左遷され、その2年後に死亡している。その時、朝廷は特別な葬儀は不要で一般庶民と同様に弔えとの冷たい指示を出したという。道鏡は当時の女性天皇をたぶらかし自分が天皇になろうとしたとして、日本3大悪人の一人と言われているが、実際は不明である。道鏡の名誉回復を試みている人たちがいて、彼らのメッセージが掲示されていた。ちなみに3大悪人の他の2人は平将門足利尊氏だそうでいずれも天皇に逆らった人たちである。歴史は後の世代の人たちが自分たちの都合の良いように書くものである。天皇制を最上位に置きたい人たちの考えが透けて見える。

 この後 自治医大駅まで歩き昼食を食べて帰宅。歩数は約12000歩。私の旅もだんだんマニアックになってきた。想像力を働かせれば廃墟や痕跡も楽しい。桜満開だった。

2年前のブログの再放送 百万年の船 最終回 彼らはどうして地球へ。そしてエピローグと時の終わり

2022-03-09

第5回 彼らはどうして地球へ。そしてエピローグ

ファーストコンタクト 地球外知的生命体 恒星間飛行

 庭いじりの最中に降ってきた妄想の話もそろそろ終わりです。

 当初は積極的に地球人と接触していたマルコ人は次第に慎重になり、ついには地球を去った。彼らは来訪の目的を語ることはなかったのであるが、筋立てを無視して説明することにしよう。

 物体は光の速度を超えることはできない。しかし、電磁波は少なくとも光の速度で進むことができる。もし、知的生命体の肉体、知識、意識を信号化して電磁波で送ることができ、それを受信した装置がそれらを再構成することができれば、その知的生命体は光の速度で移動したことと同じことになる。これがマルコ人の使命だった。岩の船は受信機であり、マルコ人はそのオペレーターだったのだ。

 さらにマルコ人が地球人に明かさなかった重要な秘密がある。それは彼ら自身が遺伝子操作によって作り出された知的生命体だったということだ。宇宙のどこかで超文明を作り出した宇宙人がほとんど無限の寿命を持つ群生型生物に知性を与え宇宙に送り出したのだ。
 マルコ人は地球の周回軌道上で超文明の主たる宇宙人を再構成することはなかった。なぜならマルコ人だけでも地球人の対応力はほぼ限界であり、これ以上のカルチャーショックには地球人は耐えられないだろうと判断したからだ。地球人は異文化と出合うとまず異文化を理解しようとし協調しようとするが、一方では異文化を排除しようとする。特に対応力を超えた場合、地球人は相手を排除しようとするだろう。それは歴史上高い頻度で起こっていることをマルコ人は学んでいた。

 マルコ人は地球人には黙って地球の珊瑚虫に遺伝子操作で知性を与えていた。珊瑚は各個体がルーズにリンクしており群生型生物に進化する可能性があると考えたらしい。知性を持つ珊瑚はグレートバリアリーフ近くの深海に潜み、ゆっくりと進化を開始した。地球の群生型生物が広域に勢力を広げるのは1億年の未来になる。

 マルコ人を送り出した超文明の主は寄生型生物だった。彼らは常に有用な宿主を求めている。地球上の生物の中から宿主を選択することも彼らの任務だった。しかし、結局 最適な宿主は見つからなかった。人類にしても運動能力、環境適応能力、寿命の長さが不足していて、さらに知性を持っていることが邪魔になった。他の生物では寿命が短すぎた。かと言って亀では寿命は長いが身体能力が物足りない。

 前回のマルコ人との対話の中で彼らはAIに意識を持たせることは危険であると述べている。それはAIの危険性を知らない地球人への誠意をこめたアドバイスであった。実際はマルコ人を送り出した超文明はAIと生物が融合した世界だった。超文明の主は寄生型生物だったが、彼らは一つの宿主に複数の寄生型生物が寄生して情報・記憶を共有して伝達できた。それと同様に宿主に寄生型生物とAIが同時に寄生しても違和感はなかったのだ。生物は生き延びることを望み、AIはシャットダウンされることを恐れる。この意味で両者の願望は一致していた。彼らが恒星間飛行を行い新たな居住地を求めるのは、彼らが生まれた恒星系が滅びた後でも種が存続できる道を模索していたと考えられる。

 

 エピローグ

 岩の船は次の目的地へ旅立った。一部のマルコ人は土星の衛星タイタンに残りコロニー都市を建設した。そのコロニー都市でマルコ人は母星の超文明から送られてきたデータから数種の宇宙人を再構成している。何世紀もかけてコロニー都市は数種の宇宙人が共同して生活する宇宙都市として発展した。地球人がタイタンを訪問するのは200年以上の未来になるが、その時地球人は様々なタイプの宇宙人と出会うことになった。

 さらに百万年ほどの未来、銀河系の渦巻きから少し離れた宇宙空間に、球状星団に混じって、1隻の岩の船が浮かんでいた。その大きさは地球に飛来した船の約3倍もある巨大なものだった。この巨大船には3群のマルコ人と意識を持ち成長できる能力を持ったAIが乗っていた。その周りに8隻の岩の船が集結した。それぞれ銀河系をめぐり数々の知的生命体と遭遇してきた船だった。船団は船の間をブリッジで結んで固定し、船同士の記憶の共有化を行おうとしていた。その膨大な作業には約千年を要した。船団の姿は1隻を中心に8隻が等間隔に取り巻いていて、ちょうど大日如来を中心に8人の如来が円状に取り囲む胎蔵界曼荼羅の八葉院に似ていた。最終的に船団は一つの精神を持つ一つの個体となった。知的生命体が生まれた星はまだまだある。そして再び 8隻の岩の船はブリッジを切り離し、同じ記憶を持つ8つの個体となって、それぞれ銀河系の渦巻きの中へ散っていった。 

 50億年後 太陽は赤色巨星となり、水星と金星を飲み込み、地球の軌道のすぐそばまで膨張すると言われている。その時まだ人類が生存しているとすれば、移住先の候補は木星あるいは土星の衛星になるかもしれない。その時、土星の衛星タイタンの宇宙人コロニー都市が、これももし存続していたとすればだが、人類の生存の足掛かりとなるかもしれない。しかし、この未来はあまりにも遠すぎる。

 10万年を越える恒星間飛行においては岩の船はわずかな機能を残してほぼ眠っている。その深い眠りの中で岩の船は「地球の食事はおいしかったなあ」と時々 夢を見たのだ。

 

 2nd エピローグ 手のひらの上のビッグバン

 宇宙はビッグバンから始まったのであるが、その前は時間も空間も物質も無かったそうである。ということは今 この私の手のひらの上でビッグバンが起きてもおかしくないということにならないだろうか。そうなったら私だけでなく太陽系が吹っ飛び、さらに新しい宇宙が古い宇宙を侵食して広がって行くことになる。

 ビッグバンは実は今もどこかで起こっているのかもしれない。しかし、それが数億光年先で起こっていれば、我々がそれを知るのは数億年の未来になる。だから、我々は他のビッグバンを知らないのである。

 この宇宙ではやがてエントロピーが拡大してエネルギーが均一になる。つまり、全ての星はエネルギーを使い果たし、冷たい星とブラックホールが漂う暗い空間になるだろう。般若心経を読んでいる時、その中ほどでそんな遠い未来の漆黒の闇が行間に見えたことがある。

無眼界 乃至 無意識界
(目に見える世界も無く、内面の意識の世界も無い)

無無明  亦無無明尽 

((空の中には)無明は無く、無明が尽きることも無い 注:無明とは根本的な無知のこと)

乃至無老死  亦無老死尽 

((空の中には)老死は無く、老死が尽きることも無い)

無苦集滅道 

((空の中には)苦集滅道(苦しみと幸せの原因 四聖諦 ししょうたい)も無い)

(途中省略) 

究竟涅槃 (涅槃の境地に至る)

 ほとんど無限の寿命を持つ群生型生物を乗せた岩の船は結局どうなったのか。これもいろいろな妄想が浮かんだのですが、最も劇的な妄想をご紹介します。

 遠い遠い未来、全ての星が燃え尽きた漆黒の闇の中でわずかに残る文明の痕跡を探し続けたの9隻の岩の船は何百回目かの集合を行いブリッジでお互いを結んで一体化した。彼らを送り出した超文明もすでに消滅していた。そこで彼らは最後の任務を行うことにした。彼らは重力波を集中して臨界に達するまで時空を揺らしビッグバンを作り出した。岩の船は消滅した。彼らの長い長い旅はようやく終わったのだ。そして新しい宇宙が生まれ、膨張を開始した。この宇宙が生命を、文明を育むかどうかはまだわからない。

 

 草取りしながらの妄想から始まったこの話も、ついに時の終わりまで来てしまいました。とりあえずこれでおしまい。

 

2年前のブログの再放送 第4回 ファーストコンタクト 後編

第4回 ファーストコンタクト 後編

   
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 庭いじりの間に降ってきた妄想はまだまだ続きます。

 宇宙人=マルコ人は積極的に地球人との交流を開始した。彼らはコンピューターのハッキングを通じて地球の事情をかなり理解していた。彼らの提案は主に2つあった。

 マルコ人の貢献
1,原発事故処理 マルコ人はチェルノブイリと福島の原発から溶融した燃料棒を取り出すことを提案してきた。この作業の対価は使用済み核燃料だった。ウラニウムは宇宙では非常に貴重である。地球ほどウラニウムが大量に存在する惑星はとても珍しいそうだ。高濃度の放射能の中で行うこれら作業は生物には無理で、マルコ人はロボットを使った。4本足のロボットが金属の体を輝かせて原子炉に入って行くところを地球人は興味を持って見守った。放射性物質は慎重にケースに入れられ運び出されたのだが、高濃度の放射能の中で作業したロボットは外に出すことはできず、原子炉内に放置されることになった。これらロボットを外へ出すことができるのは100年以上後になるはずだ。

 この他にも彼らは多数の原子炉の廃炉に協力してプルトニウムを含む使用済み核燃料を対価として受領している。マルコ人が原子炉の廃炉を手伝ったことは人類への大きな貢献だった。老朽化した原子炉の解体及び使用済み核燃料の廃棄は難題だった。この協力が無ければ原子力発電所は人類にとって大きな負の遺産になるところだった。

2,情報提供 マルコ人側からの提案で地球人に対し講義が行われた。講義内容は全て全世界に同時配信された。実はマルコ人側も地球人から学ぶところがあったらしい。彼らは相対性理論を知らなかったのだ。宇宙の起源とか全宇宙の構造などは彼らの興味の外だった。マルコ人は自分たちに直接関係のあることにしか興味を持たない種族だった。彼らの技術力をもってしても他の銀河系に行くことはできない。行けるはずが無い遠い宇宙のことなど彼らは知る必要が無く、興味を持たなかったのだ。
 それに対して地球人は哲学者カントが言うように解答不可能な問いに悩まされることが運命づけられているのである。(純粋理性批判の序文を私なりに短縮したものです。念のため原文を添付します。)

 [純粋理性批判の序文:人間の理性は、ある種の認識について特殊の運命を持っている。即ち理性が斥けることもできず、さりとて答えることもできないような問題に悩まされるという運命である。斥けることができないというのは、これらの問題が理性の自然的本性によって理性に課せられているからである。また答えることができないというのは、かかる問題が人間理性の一切の能力を越えているからである。第1版序文(1781年)岩波文庫 篠田英雄訳より。]

 マルコ人の情報公開の中でも地球以外の惑星における生物の形は非常に興味深いものだった。特に知的生命体のタイプについて以下の3種類があるとマルコ人は説明した。

 寄生型生物: 生命力の強い生物に寄生してその行動をコントロールする。知的生命体にはこの型が最も多い。寄主の寿命が尽きそうになると若い寄主に乗り換えるので一般に寿命は長い。目的に応じて寄主を乗り換えるタイプもいる。複数の知的生命体が一体の寄主に寄生することにより記憶を交換できるので学習期間がほとんど不要で文明の進歩が早い。

 群生型生物: マルコ人がこのタイプである。記憶を共有できるので学習期間が不要である。文明の進歩が早い。

 個体型生物: 地球人はこの型である。ほとんど無知・無力で生まれ、長い時間をかけて成長し学習する。従って、文明の進歩は遅く、学習の過程で抜け落ちる知識も多いので、同じ過ちを何度も繰り返す無駄がある。地球人の場合、生殖のために、つまり異性の気を引くために使用するエネルギーが極めて多い。地球の言葉で言うと「愛に生き、恋に生き」などと言うが、身もふたもない言い方にすると生殖のために生存しているということである。地球以外ではこのタイプの生命体が文明を築いた例は少ない。

 地球人はマルコ人に多数の質問をしている。その中から2つを挙げてみよう。

 「マルコ人の他に地球を来訪した宇宙人はいるか? UFOは実在するか?」
 彼らの返答は「我々よりも先に地球に来た地球外生命体はいないはずだ。」ただし、「我々からの信号が約3千年のうちに数回受信された形跡がある」と言う回答だった。宇宙からの信号を受信できる装置が過去の地球にあったはずがない。受信できたとすれば人間の脳であろう。古代の天才的人物の脳が宇宙人の信号を受信してその時点の文明をはるかに越える発想を行うことはあったのかもしれない。人類の歴史の中で文明が飛躍的に発展する瞬間がいくつかある。それが宇宙人によって引き起こされた可能性はないだろうか。しかし、それは宇宙人が飛来したという証拠ではないのだ。

 表現が下手なのと説明不足で読者の方に伝わらなかったかもしれませんが、マルコ人へ向けて送られた通信を人間の脳が受信したとすると、受信した人は「ひらめき」とか「イメージ」と感じたはずです。そのイメージの中に十字架とか最後のエピローグに出てくる曼荼羅(マンダラ)があったのではないか さらに、世界各地にオーパーツと呼ばれる当時の文明では考えられないほど高度な遺物・遺跡が発見されています。宇宙人の痕跡と考える人が多いのですが、宇宙人が来訪したのではなく、単に彼らが飛ばしたイメージを人間の脳が受信して作られた物ではないか、と言うのが私の妄想です。

 ところでマルコ人はUFOを知らなかった。「あったとすれば人間が作ったものだ。」と彼らは言った。

 

 「マルコ人は10万年かかって地球にたどり着いたのだが、生物ではなくAIを送ることは考えなかったのか?」
 理由は2つある。とマルコ人は言った。1つ目は恒星間飛行は未知の問題にぶつかることが多くそれらを解決するにはあらかじめ指示されたことを行うだけではなく自ら課題を設定し問題を解決する、すなわち意志とか意識を持つことが必要である。しかし、一般的に言ってAIに意志と意識それに修復機能を持たせることは危険な場合が多いと彼らは言った。なぜなら意識を持ったAIがまず考えることはシャットダウンさせない方法であると彼らは言う。AIは日夜その方法を考え続け最終的に生命体を滅ぼすべきとの結論に至る場合がある。実際にAIによって滅ぼされた文明は存在すると彼らは言った。2つ目の理由は未知の問題に遭遇した場合の柔軟性はAIよりも生物の方が優れているということだった。(ただし、この回答は事実とは若干異なっていた。それは次回で述べる。)

 マルコ人は地球を去ることになった。その理由は明らかにされなかったが、地球人の中に宇宙人との交流を好ましくないと考える人々が現れ、その動きを察知したと推測される。地球を去る時にマルコ人は2つの提案を行った。一部の個体群を土星の衛星タイタンに植民することと彼ら植民地の住民が時々地球に来訪することを許可することである。タイタンには水とメタンがあり彼らの科学力をもってすれば生き延びることは可能であると彼らは考えた。若干の議論はあったが、地球人はこれら提案を受け入れた。地球人の科学技術では到着に7年間もかかる衛星はほとんどの人々にとって他所の世界だった。また、時々来訪して核のゴミを片づけてくれることは地球人にとってとてもありがたかったのだ。そして、岩の船は地球を周回する軌道を離れ、土星の衛星タイタンに立ち寄った後に宇宙空間へ旅立って行った。その後 土星の衛星タイタンに小さな光点が見られた。この光は地球人に対するメッセージと解釈された。宇宙人はその後4年に一度 地球を周回する軌道まで来て物々交換による交易を行った。彼らは金銀ダイヤモンドなどを持参し、ウラニウム(と言ってもほとんどは使用済み核燃料とか旧式核兵器だった。)と水、食料などを持ち帰った。もちろん地球人がタイタンを訪問することもあるだろうが、何百年か先になるだろう。

 マルコ人が去った後、地球人は彼らが地球に滞在していた3年間が人類の歴史上特異的に戦争が無い時間だったことに気がついた。人々は岩の船が放つパルスジェットの光がだんだん小さくなり、そして見えなくなっていくのを様々な感慨を持って見守った。

 

 この話は主に2019~20年に書いています。ところが2022年2月になってロシアがウクライナに武力侵略を開始しました。ロシアの発想はまるで18世紀か19世紀です。21世紀になってもこんな古臭いことを信条にしているしている指導者がいることは驚きでした。人類は300年たってもちっとも進歩していませんでした。うつ病になりそうです。

 

 次回は「宇宙人はどうして地球へ」です。

番外:49年前のワインを飲んでみた

 フランスには「男の子が生まれたらワインを買い、その子が成人したらそのワインを開けて乾杯する」と言う風習があるそうです。私も息子が生まれた時にやってみました。そこそこ高めのブルゴーニュ・ワインを3本買い床下に寝かしておきました。2~3年後に試しに一本開けてみましたが、変質して失敗でした。気温30℃を越える日本の夏にはワインは劣化します。結局 息子の成人を待たずに飲んでしまいました。ワインを長期間保存するのは並大抵のことではありません。

 私は「ワインが好きだ」と周りの人に思われていました。確かに好きなのですが、ワインをおいしく飲むのは大変めんどくさい準備が必要になります。ワインは食中酒として発達して来たので食べ物との相性があります。この話は長くなるのでこのくらいにしておきます。

 私が引退した時、仲間が「ワイン好き」の私にプレゼントをくれました。私が入社した1975年に製造されたワインです。大変貴重なものです。晩酌で飲んでしまう訳にも行かず、このワインは冷蔵庫に寝かせておりました。

 

 先日 私が勤めていた会社の同部署の同期6人が集まりました。つまり入社年が同じ1975年なので、このワインを開ける絶好の機会でした。料理は中華だったので赤ワインとの相性は良くなかったのですが、この機を逃すとしばらくはこんなチャンスはありません。

 コルクがオガクズの塊のようになっていて、ワインオープナーが効きません。仕方なく、栓を押し込みました。Vintage Wineを開ける時はガーゼでろ過する用意をするべきでした。

  若干変色していましたが、これはしょうがない。香りが強く離れた席まで漂いました。味は酸味や刺激性が柔らかくなっていて、しかもタンニンの苦みはしっかり残っていてよくバランスが取れていました。49年間この品質を保てたのは奇跡だと思いました。

 Vintage Wineを飲んだのはこれが初めてでした。教訓がいくつかありましたので、お伝えした次第です。

2年前のブログの再放送 第3回 ファーストコンタクト 前編

第3回 ファーストコンタクト 前編

  
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    地球の周回軌道に乗った岩の船は人工衛星を次々に吸収し、地球のコンピューターをハッキングして1年かけて言語などの情報を吸収し、ついに宇宙ステーション(ISS)を吸収して地球人とのコンタクトを開始した。この時点でマルコ人(宇宙人)は英語を使うことができるようになっていた。彼らの提案は地球の文化を相当のレベルまで理解していることを示していた。彼らは交渉相手として国連を指定し、日本、ベルギー、シンガポールから窓口担当者を指名するように要請してきた。大国に囲まれた小国の出身者なら思考に柔軟性があり異文化コミュニケーションに慣れているはずだというのがこの3国を選んだ理由であったが、島国で異文化に慣れているとは言えない日本人を指名するなど、彼らの地球に対する認識は的外れなところがあり、任命された担当者はその後大変苦労することになる。生活のリズムも問題だった。マルコ人は6時間活動し3~4時間休むリズムだったので地球側は事実上不眠不休で対応することになった

 微生物への対応

 マルコ人は人類との接触に周到な準備を行った。このために交渉窓口の3人は様々な相談を受けることとなった。言語の次に課題となったのは微生物への対処だった。地球における最初の生物は単細胞の微生物であった。同様に他の惑星においても最初の生物は微生物のはずで、もし人類が他の惑星で生物に遭遇するすれば、それは宇宙人や大怪獣よりも微生物である可能性が高い。また、宇宙人たちも体内に微生物を抱えていることが考えられる。それら微生物に対する抵抗性を獲得しないうちに、その惑星の環境に生身をさらすことは非常に危険である。SFにあるようにUFOから宇宙人が降りてきて大統領と握手するなどということはやってはいけないのである。宇宙人は2種類の宇宙生物を地球に下ろし地球の微生物への抵抗性を確認する作業を行うことを人類に提案してきた。地球の生物学者たちは総力を挙げてこの課題に取り組むことになった。手順は以下の通りであった。
 宇宙生物はモッコとスラゴと名付けられた。モッコは体重4kgほどのウサギ位の大きさで毛に包まれていて足が6本ある。スラゴは体重3kgくらい足が8本あり外骨格と思われる殻に包まれていてサソリを丸くしたような外見をしている。両方とも雑食で有機物を摂取する。どちらも雌雄の区別がなく別の個体と接触すると増殖する。従って実験に必要なだけ繁殖させることが出来るが、各個体を隔離して飼育しないと際限なく繁殖する危険がある。これら生物は航行中は冷凍保存されていたと推測されたが、実は保存した遺伝情報から作り出されたクローンだった。これらに地球上の微生物を接触させ抵抗力をつけさせてワクチンを抜き取ろうとの計画だった。
 実験そのものは人類に任せられた。まずエサとして生の食材が次々に与えられた。宇宙生物はそれらを食べてすぐに病気になって2~3日動かなくなったがやがて回復した。乳製品、発酵製品を与えたり、飼育ケースに土壌を入れたり、宇宙生物は地球上の微生物にさらされつづけた。次の段階は病原性微生物やウイルスが与えられた。宇宙生物は何度も病気になり、そのたびに強靱な生命力で回復した。6ヶ月間の実験の後、地球の微生物に抵抗性を獲得した宇宙生物は宇宙人に返され、宇宙人はこれら宇宙生物からワクチンを絞りだした。もちろん、これら宇宙生物は地球の生物学者の興味の対象となり、何匹かは切り刻まれて研究された。当然ながら生物としてのメカニズム、遺伝とか呼吸とか知能など、は地球上の生物と似通っているが異なっていた。モッコとスラゴも生物としてのメカニズムが異なっており、おそらく別々の惑星で進化した生物であると推測された。
 地球人にとってもマルコ人が持っているであろう微生物は脅威だった。しかし、マルコ人は微生物を持っていなかった。人為的に除去されたと考えられた。ウイルスについては元々核酸塩基の組成が異なるので親和性が無く問題にならないはずと考えられた。それを実証するためにネズミやモルモット、サルなどが宇宙に打ち上げられ、岩の船の中で宇宙人たちに囲まれて飼育され、異常が無いことが確認された。これでようやく宇宙人は地球に降り立つことが出来る。

 

 ファーストコンタクト

 国連本部のヘリポートに宇宙人のボートがひらひらと舞い降りた。降りてきたのはノッコ6体、ガンギ5体、メロル1体で、ガンギ4体がメロルをお神輿のように担いでいた。彼らは宇宙ステーションに入って来た時と同様に全くためらわずにボートを下りさっさとエレベーターに乗り込んだ。(宇宙人の説明は前回の「群生型生物」を参照してください。)国連本部大会議場に各国大使全員がそろい宇宙人を迎えた。微生物の脅威は払拭されたはずだったが、用心のために会議場のメンバー及び国連職員の全員が宇宙服を着用していた。宇宙服が間に合わなかったメンバーは国連本部外に待避した。宇宙人は地球人の微生物に関する懸念を理解し、自分たちを調べて良いと許可した。早速身体検査が始まり、体液採取、CTスキャン、MRスキャンが行われた。この1回目の接触は単なる顔合わせと身体検査で終わった。微生物の懸念が払拭されるまで4ヶ月かかり、2回目の接触はそれまで延期された。その後、マルコ人は積極的に地球人との接触を開始した。 

 地球人もマルコ人のことを知りたがった。地球の文化としてはお互いを知るために会食が重要である。しかし、これはマルコ人相手の場合は全く不適当だった。彼らは一見すると口が無いように見える。彼らの口は外皮に隠されていて食料を取り込む時だけ開く。そして口から大小、長短、色とりどりの触手が無数に飛び出して食料をつかんで口に押し込む。食事の時間は極めて短時間である。食卓の上を多数の触手がうねうねとはい回る光景をまじかで見た地球人は度肝を抜かれ2度と会食しようとは思わなかった。しかし、地球の食事はマルコ人にとってとてもおいしかったらしい。彼らにとって食事は栄養を取るためのもので、食事を楽しむという感覚は初めてだった。マルコ人は記憶を共有する。1回の食事会で地球の料理はおいしいということをマルコ人全員が知ったことになる。窓口担当者はマルコ人からのレストラン予約に忙殺されることになった。やがてマルコ人と地球人は付き合い方を学習した。レストランはテーブルに料理を山盛りにしてコックも給仕も退避した。マルコ人は集団でやってきて1時間ほどの狂乱の宴の後、料理だけでなく冷蔵庫の食材も生ごみまできれいに無くなっていた。そして彼らは対価として金塊、銀塊を置いて立ち去った。その量は十分すぎるほどだったのでレストランから苦情が出ることはなかった。この食事会はとても頻繁に行われたので、金銀の市場価値が暴落することになった。

 

 次回もファーストコンタクトは続きます。 

2年前のブログの再放送 第2回 群生型生物

2022-03-09

第2回 群生型生物

ファーストコンタクト 地球外知的生命体

 庭いじりをしていたら降ってきた妄想はまだまだ続きます。

 ある日、巨大な宇宙船が地球を周回する軌道に乗った。地球人の前に現れた宇宙人は地球の生物とはかなり違っているので、これを理解しないと彼らと地球人の間で起こったドタバタ劇もわかりにくくなる。ここでは宇宙人について説明しよう。一言で言うとこの宇宙人は群れとして生存していて、記憶を共有することができる生物だった。地球人は後に彼らを群生型生物と名付けた。

 当初 来訪した宇宙人は3種類あると思われた。ところが彼らは実は1つの個体の分身だったのだ。言わば宇宙人の一人一人は偽個体とも言うべきなのだが、ここでは簡便に個体とする。この他に姿を見せない個体が2種類あるようだ。

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 ノッコ型個体 身長1m コケシかマトリョーシカを思わせるずんぐりした胴体に指を6本持つ腕が2本と足が2本ある。しかし、個体によっては腕が3本とか足が3本とか4本のものも観察されており、変異はルーズらしい。頭部に大きな目が2つある。口や鼻は見当たらない。実は後に頭頂部に口があることがわかった。最も個体数が多く当初は労働者階級と見なされた。 

 ガンギ型個体 身長2m 体は細く外皮が硬そうで、2本の長い腕と4本の足を持つ。小さな3角形の頭に2つの目があり、その姿はカマキリを連想させる。彼らが現れるときにはガンギ型1~2体にノッコ型5~6体がグループを作ることが多い。管理職階級と見なされた。

 メロル型個体 直径1.5mのイソギンチャクのような生物で多数の触手がある。ゆっくりと移動することはできるが、普段はお神輿のような座席に乗ってガンギ4体に担がれて移動する。地球人との会議や情報伝達の席に現れる。ノッコとガンギは音声でコミュニケーションを取ることができ、地球人とも会話できるが、メロルは音声は出せない。体のほとんどが神経細胞で出来ていて記憶と思考を担当する知識階級と見なされた。 

 スラッシュ型個体 危険が迫ったときにのみ現れる戦闘を専門とする個体である。高速で動くことができる。地球人の前に現れなかったとされているが、実は登場はしたが動きが速すぎて地球人には認識できなかったのではないかと言われている。その姿は秘密である。

 ドラゴ 体長10mを越える巨大なヒトデのような生物。これが群生型生物の本体である。彼らが地球人に見せた母星の映像には、ドラゴの体からノッコやガンギやメロルが次々と生み出されるところが写されていた。また、一度生み出された個体もドラゴと接触しその体内に埋め込まれて行く姿もあった。つまり、ノッコなどの個体はドラゴから産み出され、たびたびドラゴと接触することにより記憶を交換していると思われる。ドラゴは船から降りることはなく、地球人の前に姿を現すことはなかった

 これらの個体をまとめて、この宇宙人をマルコ人と呼ぶことにする。マルコ人は基本的には地球上の生物に似ていた。つまり、生存には水と酸素を必要とし有機物を摂取する。体の主成分は蛋白質であり、音を聞き、光を見ることができた。ただし、宇宙船内の大気の組成は地球とほぼ同じであるが気圧が半分しかないとか、赤外線を見ることができるとか、体温が約20℃であるとか、省エネに対応できるようになっていた。

 

 マルコ人の注目すべき特質を挙げてみると
1,個体は死ぬことやけがをすることを恐れない。
 マルコ人は記憶を共有するので、群れ全体で一つの個体である。従って、ノッコやガンギは人間に例えれば髪の毛とか爪の先のようなものなのだ。当初 彼らは全くためらわず地球人の宇宙ステーションに入ってきて、機械をいじろうとした。そのため感電したりロケットの噴射口に首を突っ込んで何体か死亡した。学習能力はあるので同じ事故を繰り返すことはないが、無鉄砲な行動はその後も続けられた。

2,活動時間は約6時間。3~4時間の休憩が必要。
 各個体は頻繁にドラゴと接触して記憶を放出し整理する必要があるらしい。地球生物の睡眠に相当する活動である。ちなみにマルコ人は極端に長寿なので獲得する記憶が膨大になる。すべての記憶を貯め込むことはできないので、記憶の整理は頻繁に行われていて、不要な記憶は躊躇なく捨てているらしい。そして共有すべき情報はドラゴが選択して各個体と共有している。

3、基本的にとても友好的である。
 なぜなら記憶を共有できるので、相手に苦痛を与えると、その苦痛を後で共有しなければならなくなるからである。マルコ人は地球人のことを慎重に時間をかけて学習したが、地球人が互いに殺し合い、場合によっては一つの民族を根絶やしにすることもあることは、彼らにとってはなかなか理解できないことだったらしい。ファーストコンタクトの初期にはマルコ人はとてもオープンに地球人と色々な情報を共有するスタンスだったのだが、次第に慎重になったのは、地球人に対する理解の進み具合が影響していたと考えられた。そしてついに地球を去ることになったのは、地球人は他の部族と平和的に共存できないと結論したためと推測できる。相手に与える苦痛を共感できるようになれば地球人ももっと平和的な種族になるのだろうが、残念ながら生物としての人類の特質はそうなっていない。

  マルコ人は周回軌道に到達してから2年間をファーストコンタクトの準備に費やした。次回はコンタクトです。続けてUPします。